人生とは何とも不思議なものである。2018年シーズンにプロ野球史上52人目の2000本安打を達成した福浦和也内野手は1月28日、東京都新宿区にあるロッテ本社を訪問していた。目的は社員への講演。テーマは「大きな目標に向かって」。100人の定員で250名を超える社員が応募し、会場は熱気に包まれていた。
「前回、ここに来たのは25年以上前。四半世紀前だよね。まさか。まさか。こんな形でまた、ここを訪れることになるとはね。誰も思っていなかった。もちろん自分ですら思っていない」
福浦は到着すると懐かしそうに周囲を見渡し、そう話した。それもそのはず。ロッテ本社を訪れたのはドラフト7位で指名されて入団会見に臨んだ93年12月以来の事だったのだ。7人いた新人選手の中でも最後の指名。ドラフト上位選手たちにスポットライトが当たる中、背番号「70」(当時)の若者は会見場の端にポツンと座った。
そして時は流れた。あの時の新人選手の中で唯一、いまだ現役でプレーしている。12球団を見渡しても93年ドラフトで現役を続けているのは福浦ただ一人だ。そして幕張のレジェンドと呼ばれるまでになった男はロッテ社員向け講演の堂々たる主役としてあの日以来のロッテ本社に招かれた。
ショックだった投手人生の終わり
思えば25年以上前に行われた入団会見でマスコミから目標を聞かれた福浦は「まずはプロ初登板を果たしたい」とキッパリと答えた。当時、投手として入団したからだ。しかし結局、その目標は叶わなかった。一軍はおろか二軍ですら投げることなく投手人生はあっという間に幕を閉じた。1年目の夏。二軍首脳陣は投手としてではなく野手としての潜在能力を見出し本人に野手への転向を打診。苦渋の選択を強いられた若者は、その提案を受け入れた。
「もちろんショック。すごいショックでした。投手として入ってきて投手をやりたかった。しかも1年目ですから。でも『試しにフリー打撃で打ってみろ』と言われて打った時、ポンポンと打球が飛んで気持ちが良かったのも事実。どうせクビになるなら、チャレンジして悔いのない形で終わろうと。プロの世界で生き残れるなら、なんでもやってやるという気持ちになった」
講演で当時の心境をそう語った。それからの福浦は必死に練習をした。野手転向は打つだけでない。守備練習、走塁練習も一からの再スタートである。他の野手に追いつくためには人の2倍、3倍と練習する必要があった。苦しい日々であった。ただ悔いは残したくないという想いが若者の気持ちを突き動かした。時には休みたいこともあったが、決められたノルマは必ずこなした。試合後には必ず凡打した自分の打席を映像でチェックし、なにが問題だったかの答えを導き出せるまでは絶対に球場を離れることはなかった。そしてそのたゆまぬ努力が安打を生み、その数字は2000本に到達した。