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虐待サバイバーが語る「児童相談所は私を助けてくれなかった」

「虐待のニュースは自分の心が死んじゃうので……」

2019/03/05
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児童相談所に行き、家で虐待されたと訴えたが……

 母親も明穂を虐待した。「もっと叩いて育てればよかった」と言っていたほどだ。晩ご飯前後には、外に締め出されたことも多かった。近所の人に見られない時間帯でもあった。小3からは「死にたい」と強く思う。父親から性的虐待を受けるようになった時期だ。

「週末に、中2までされていた」

 中学では、学校の先生に家のことを話すようになった。

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「性的虐待のことは、されなくなってからも、すぐには話す気になれなかった」

 中3のとき、明穂は自分から児童相談所へ行き、家で虐待されたと訴えた。一旦は「保護する」という話になったが、連絡が行った母親の反対で、実現しなかった。当時は、親権が強かった。

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「児相に夢と希望を持ちすぎた。何かが変わるという期待があった。児相が介入してくれると思ったのに、それ以上のことはしない。骨折でもしないといけないのか。このとき母親も性的虐待のことを知ったけれど、家に帰ると、ケーキが用意され、なかったことにされた」

 明穂はずっと親に殺されると思ってきた。震災の時は無職でも避難所などで役に立ったことから、「無職を責められず、よかった」と振り返る。家族との関係は変化しないが、両親は年をとったこともあり、暴力は受けていない。そして、無職ながらも一人暮らしをしている。

「今も死にたいと思っている。高校生までは早く死にたいと思っていた。なぜなら若いうちはニュースに取り上げられるはず。しかし、そのタイミングを逃した。一回しか死ねないので、ここぞという時に死にたい。(家の)系譜を断ちたい」

30代の男性とラブホテルから出たところを補導

 那美(20、仮名)は16歳のとき、池袋駅北口で警察に補導された。30代の男性とラブホテルから出たところだった。

「警察官とラブホテルで現場検証をした。生々しい感じで、『こんなことをしたのか?』とか『相手は全部吐いたよ』とか言われたりして、私は『たぶん、そうだと思います』と受け答えした。何をしたのかをしゃべらせようとしていた」

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 東京都青少年健全育成条例(淫行)違反事件となった。那美は援助交際もしていたが、このときは、金銭のやりとりはなかった。いわゆる素行が悪いとされたため、神奈川県内の児童相談所に送致され、児童福祉司と話すことになる。

「めちゃ、性格が悪い人だった。“そんなこと(援助交際等)をした人はゴミ”と言うように、冷たい人だったので、2、3回行って、ばっくれようと思った」