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最初の担当には「あんたとは話したくない」

 2回目は性格検査をした。臨床心理士が対応した。

「優しい人だった。話しやすかったし。そのため、最初の担当には『あんたとは話したくない』『心理士となら喋っていい』と言った」

 カウンセリングされるようになると、自分の家族のことも話した。

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「母はマンションを買うために借金をした。そのことをきっかけに父親は私にも暴力をふるうようになった。離婚して母親と暮らしたが、おじいちゃん、おばあちゃんから掃除機の尖った部分で殴られたりした。自分の殻に閉じこもる性格で、読書で集中していると、返事をしないからでしょうね」

 中学の頃は、母親の彼氏と一緒に住むこともあったが、その男から暴力を受けた。その後、父親と暮らすようになるが、父親からも暴力を受ける。自傷行為を繰り返すようになり、何度か病院に入院するが、PTSDの診断を受けた。

児相とつながったのは“非行”がきっかけだった那美 ©渋井哲也

「虐待のニュースは自分の心が死んじゃうので……」

「母親と暮らしたときは明確な虐待だと思う。でも、どこからが虐待なのかわからない。例えば、高校生のときは父親と暮らすが、手をあげられたり、物を壊されたり、部屋のものがなくなっていた。作った食べ物は捨てられ、皿ごと捨てられていたこともある」

 殴られたりすると、泣き叫ぶ子もいるだろうが、那美は殴られてもフリーズし、泣かなかった。

「だから近所の人にもわからないし、父親は外面がいいので、発覚しない。心理士の人からは『家を出た方がいい』と言われたが、児相は初めてだったし、万引きもタバコもしてないので、非行だと思っていない。保護されるレベルでもない」

 児相は虐待自体には介入しなかった。高校卒業後、就職した那美。会社の寮で暮らしているため、しばらく父親とは会ってない。ただ、成人式を迎えたために手紙とお金が送られてきた。

「どうしたらいいのかわからないので、(お金は)使ってない」

 心愛ちゃんの事件について、那美はニュースを見聞きするのを避けていたという。

「ニュースは見ないようにしていた。虐待のニュースは自分の心が死んじゃうので……」