記事の内容も大事だけど、記事を届ける仕組みも大事。オンラインメディアの世界ではコンテンツとテクノロジーとの関係がこれまで以上に問われています。新しいメディアでの「編集」とは何か? SmartNewsの藤村厚夫さんのお話は、古き良き出版文化をどう発展させるかのヒントに満ちていました。

「これさえ読んでいればいい」とは言いたくない

――数年前までネットメディアについては、コンテンツをより多くの受け手に届ける仕組みが重要とされがちでした。それがメディア間の淘汰や、粗悪な情報の拡散を繰り返すうちに、ふたたびコンテンツ重視の議論に回帰している気がします。

 

 僕にも「コンテンツ・イズ・キング」という思いは強くあります。ただしコンテンツについて、われわれがどの時代の人々よりも確実に幸福だと思える唯一の要素は、やはり多様性だと思っています。多様性のない社会は、やっぱり危険です。アメリカ大統領選の結果も、二極化を極端なかたちで推し進めてしまったことの帰結のような気がしてなりません。

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 SmartNewsはたくさんの記事から粒よりのものをお届けしてはいるのですが、「これさえ読んでいればいい」とは言いたくないんです。一人の人がほどよく選択しやすい幅は用意しますが、そこから先、選ぶのは読者というスタンスです。

 

――その考えを推し進めると、どのメディアからも特色が失われるのではないか、という批判も散見しますね。

 先日も読売新聞のインタビューに、JIAA(日本インタラクティブ広告協会)事務局長である長澤秀行さんがキュレーションメディアについて、「彼らは記事選択のアルゴリズムを開示しないわけですよ。これを開示すべき」「編成権は記事の中身と同じくらい意味があるはずであって、その根幹を開示しないプラットホームに記事をゆだねていいのか」と発言されていました。​新聞社が持つべきネットへの意識…JIAA(前編)

 

 長澤さんのことはよく存じ上げているので、ああいう言い方をされる理由はよくわかります(笑)。編成権が重要という言葉もよくわかる。でも我々のスタンスは、すこし違うところにあるんですね。

 編成とは、このコンテンツをこの場所に、こうやって出すという強い意思決定です。メディアの矜持として、とても尊く美しいものだと思います。でも、現実の世の中はもっとデリケートなものなのではないか。右か左かの選択だけではなく、その間にある要素や、その選択を包み込んでいるものを、写し取るメディアを作りたい、そう思うんですね。

オフィスにはカフェスペースや新聞スタンドなどがある

 意思ではなく機械のアルゴリズムで編成するということについては、どうしても議論が形式的になりやすいきらいがあります。人間の作ったものこそが崇高で、機械のやることは薄気味悪いという価値観もあるでしょう。人間の作ったメディアに機械が参入してくると、自分たちの作ったものが汚されたような思いになる人も少なくないと思います。それは理解できますが、人間の作ったメディアが実現してきた多様性を、技術を使って作り出そうとしているつもりなんですよね。