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震災がきっかけで「祭り男」へ――亡き祖父の思いを継いだ神輿職人

被災地と「自分」を再生したのは神輿造りだった

2019/03/11
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神輿が出てくると、みんなが涙を流して喜んだ

 また、石巻市雄勝町桑浜にある白銀神社の祭りも手伝うことになる。

「ここの神輿が出てくると、集落の人みんなが出てきて、涙を流して喜んだ。手を合わせる姿は衝撃的だった。出身地の横浜では、祭りに関係がない人は通り過ぎるだけ。“神輿はみんなが大事にするもの”というのは頭にあるが、現実にそうなってない。でも、石巻では成立している。奇跡の浜だと思った。

 でも、この祭りはなくなってしまいそうな危機感があった。取り戻したいのはこういう祭りだ。震災がなければ、祭りはなくなっていたかもしれない。そして、同じような場所は日本中にある。知らない間になくなってしまうのはもったいない」

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神輿職人・宮田宣也さん ©MIKOSHI GUY

 こうした思いを実現するために、2018年1月、一般社団法人「明日襷(あしたすき)」を作ることになる。

 被災地の経験や気づきだけでなく、そのベースには宮田さんの、祖父への思いがある。幼い頃の宮田さんは、母親の再婚相手である新しい父親と一緒に暮らしていたが、その継父に存在を否定され続けた。一方、祖父は宮田さんを常に承認してくれていた。宮田家の孫の中で唯一の男の子ということもあり、祖父は神輿職人として、いろいろな祭りに連れて行った。

「爺さんは僕を継がせるということで仕込んでいたため、生活に祭りが入っていた。爺さんは神輿を作っているだけでなく、神輿のリーダーであり、地域の神社関係の行事をすべてやっていた。知らないうちに影響を受けていた」

石巻市雄勝町大須浜の祭り ©MIKOSHI GUY

宮田さんの祖父が作った神輿がフランスに渡った

 中3の時、宮田さんは実の父親に再会した。会っただけで涙が出た。

「初めて愛を感じた。うまくしゃべれなかったが、うれしかった。そのときにもらった時計は今でも大切に身につけている。その後、親父や爺さんは、僕が空手の試合で勝ったり、テストの点数がよいと喜んでくれた。そのため、『僕は、この人たちを喜ばせることができる』と思った」

 宮田さんは承認してくれた実の父親と祖父の中で、頑張ることができた。しかし、20歳のとき、父親がガンで亡くなってしまった。

「親父が亡くなって、生きる意味が半分なくなってしまった。救ってくれたのに、何も出来なかった。だから、同じ後悔をしたくない。爺さんに対しては、今できることをしたい」

 こうした思いがあり、宮田さんは神輿造りをするようになった。全国各地の神社からも呼ばれている。それだけでなく、宮田さんの祖父が作った神輿がフランスに渡った。今では、ベルリンやリトアニア、スロベニア、ブルガリアで神輿をあげるようにもなった。

ベルリンで神輿を担ぐ宮田宣也さん ©MIKOSHI GUY

 宮田さんは今も石巻市雄勝町に出向く。地域の祭りに参加し、神輿を担ぐ。そこは、神輿を造るという祖父の遺志を継ぐことを明確にしてくれた場所なのだ。地域の祭りを残すことは、自分の生き方と向き合うこととセットになっている。

 宮田さんの活動は映画「MIKOSHI GUY 祭の男」にもなり、3月23日から29日まで、東京・渋谷のアップリンクで限定ロードショー。きっかけともなった石巻市雄勝町ではすでに先行上映をしている。

INFORMATION

MIKOSHI GUY 祭の男
監督・構成:イノマタトシ[猪股敏郎]
プロデューサー:石井正人 / 撮影:黒田大介・下山遼佑 / 音楽:濱田貴司 / 歌:CHAN-MIKA / 編集:宮田耕嗣
宣伝:アーヤ藍 / 製作:「MIKOSHI GUY」製作委員会 / 制作:(株)FPI / 制作協力:一般社団法人 明日襷
2019年/日本/カラー/1時間16分
http://mikoshiguy.com/

震災がきっかけで「祭り男」へ――亡き祖父の思いを継いだ神輿職人

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