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子どもたちが書いた3.11――あのとき彼らは何を思っていたんだろう

『「つなみ」の子どもたち 作文に書かれなかった物語』より

2019/03/11

 震源は三陸沖、マグニチュードは9.0。エネルギー換算で広島の原子爆弾の3万2000発分というとてつもないエネルギーが海底で発生した。マグニチュード7.3の阪神・淡路大震災の約355倍という尋常ならぬエネルギーだった。それが2011年3月11日、午後2時46分のことだった。

 この未曾有(みぞう)の震災に際して、何をすべきか――。誰もが考えただろうことを私も考えた。

※文春文庫『「つなみ」の子どもたち 作文に書かれなかった物語』(森 健著)まえがきより一部抜粋して転載しています。2011年3月半ばから取材を続けていたジャーナリスト・森 健さんの当時の体験です。

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震災から1週間後に見た岩手県沿岸部の風景

  震災から1週間後に岩手県大槌町(おおつちちょう)と釜石市に行き、言葉を失った。

 内陸部から沿岸部へ車を走らせていくと、内陸部の大半では地震の影響を感じられなかった。だが、海岸まで2キロメートルほどに近づいたところで、風景におかしなものが見え始めた。川沿いに尋常ではない量の木片やゴミが広がりだしたのだ。それは明らかに木造建築の家屋が崩壊して流されたものだった。カーナビの画面で見ると、まだ海岸までは相当な距離があった。にもかかわらず、ゴミがあるということは、その周辺まで津波が遡上してきたことを意味していた。それに気づくと、あらためて津波の凄さが具体的に想起でき、背中にゆっくりと嫌な汗が噴きでてきた。