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子どもたちが書いた3.11――あのとき彼らは何を思っていたんだろう

『「つなみ」の子どもたち 作文に書かれなかった物語』より

2019/03/11
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保護者への取材ではじめて全体がわかることも

 作文を受け取るときには、つねに話も聞かせてもらっていたが、取材を続けているうちにもっと深く伝えたいと思える家族が少なからずいたためだ。

 また、当然のことながら、子どもの作文には子どもなりの受け止め方や表現があったが、彼らの年齢では捉えきれていない事柄も多かったからだ。子どもの作文には書いていないことや書けなかったことも多く、保護者への取材ではじめて全体がわかることも多かった。子どもの作文は個々の家族の象徴、氷山の一角であって、その家族全体の話を聞くことで、さらに深く心を動かされた。

 それは単純に被害の悲惨さが基準ではない。痛ましい話だけ集めるのであれば、被害がひどかった家族ばかりになってしまう。そんな話だけを伝えるつもりはなかった。

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それぞれひとりの人間として

 取材者として心を惹かれたのは、ひとりの人間としての子どもや保護者、そしてその家族の織りなすストーリーだった。地域や場所によって被害状況も異なるように、個々の被災者には個々の暮らしがあり、家族がある。同じ地域で被災したとしても、それぞれの家族が抱える歴史やひとりひとりの個性はまったく別物だ。

 そこで作文集を出したあとも、いくつかの家族にお願いしてたびたび話を聞かせてもらった。

 目を啓(ひら)かされるような話もあれば、考えこまされる話もあり、やるせない悲しみに胸を締め付けられるような話もあれば、つらさの中に奮起や希望が見出せるような話もあった。いずれにしても、それは一様ではなかったが、強く心を揺さぶられるものばかりだった。

石巻市 東松島高校1年(当時)鈴木啓史(ひろふみ)さんの作文「不良息子奮闘記」

※7人の子どもたちの作文全文、そしてそれぞれの家族たちを追うことによって生まれた“作文に書かれなかった物語”、あの日からこれまでを加筆した「八年間の日々に」は『「つなみ」の子どもたち 作文に書かれなかった物語』に収められています。

子どもたちが書いた3.11――あのとき彼らは何を思っていたんだろう

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