死因が分からない遺体を解剖し、死因を特定するのが監察医の仕事だ。元東京都監察医務院長の上野正彦さんは「いくら仕事とはいえ、子どもの検死に行くのはつらかった」という。著書『死体はこう言った ある監察医の涙と記憶』(ポプラ社)より、一部を紹介する――。
脳が飛び出し、顔が潰れた子ども
私は30年にわたり2万体の死体と対面してきた。検死には切ない体験をさせられることが多いが、本当に検死に行くのが辛いのは、子どものケースである。嘆き悲しみ、号泣する家族の側で行うことがほとんどなので、こちらも穏やかな気分ではいられない。
ある交通事故の現場に行った。
道路に車が横転し、窓が割れてガラスの破片が散乱する中、歩道の片隅にしゃがみ込む母親と抱きかかえられた子どもの姿が目に入った。子どもは、脳が飛び出して顔がつぶれてしまっている。
母親はかくも無惨に顔から血を流す子どもを抱きしめている。
「ママって呼んで、お願い、起きて、起きて!」と泣き叫ぶ声が響いている。やじうまも多数集まっている現場に、その悲痛の叫びがこだまする。
母親の姿と叫びを聞いて、本当に胸が張り裂けそうな思いだった。
涙があふれ、運転できなかった
数多くの検死で慣れというのもあり、ほとんどの場合冷静でいられるが、子どもの検死は例外である。子どもに先立たれた母親の嘆きには、凄絶な母性を感じる。見るに耐え難いものがある。つい、私も胸がいっぱいになってしまった。
母親は、死んだ子どもをずっと抱きしめて離さない。検死をするからと言って、子どもを引き離すわけにもいかない。あきらめて引き揚げることにした。
子どもの場合、検死できずに、翌日出直すことにして現場を引き揚げたことは一度や二度ではない。
検死を終え帰りの車中は、いつにも増して重い空気だった。監察医は、補佐と、運転手と一緒に3名で現場に赴く。
突然、運転手が道路の脇に車を寄せて停めた。一日に4、5件の事件・事故現場に行き検死をするのが普通で、現場から現場へと分刻みで動いているので、寄り道をすることはめったになかった。