偽装殺人、他殺を装った自殺……。どんなに誤魔化そうとしても、もの言わぬ死体は、背後に潜む人間の憎しみや苦悩を雄弁に語りだす。

 死体を扱って約30年の元監察医・上野正彦氏が綴る大ベストセラー『死体は語る』(文春文庫)を一部抜粋して紹介する。痴情のもつれの果てに殺されたという、女子大生の遺体が見つからない。殺人犯の男は一家心中しているため、警視庁捜査一課の刑事二人は、悩んだ末に上野氏を訪れたのだった。(全4回の4回目/最初から読む

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 私はこの事件が報道されたときから興味をもち、自分なりに推理していた。湖底であるとの考えには、二つの理由があった。

 まず、犯人一家は入水心中をしているので、犯罪心理学的に考えて、殺しも水の中ではないだろうか。愛人を水で殺したから、自分も水に帰るつもりになったと考えられないか。一家心中するのに、わざわざ石廊崎まで行って崖から海に飛び込まなくても、安易な方法はいくらでもあるはずである。

 もう一つの理由は、天下の警視庁が半年も別荘の周りを探しているのに、発見できないのは、遺体はそこにないからであろう。

「別荘周辺ではなく、やはり深い湖の底にでも沈んでいるのではないかと……」

「先生、それは違います」

 話が終わるのを待ちかねたように、刑事は私の推理を否定した。二人は自信に満ちた顔つきであった。

遺体は八王子の別荘周辺に間違いなく埋められている

 遺体を埋めた場所は、別荘周辺以外には考えられないことを、捜査の経過から割り出していたのである。それは推理小説の謎解きのような理論の飛躍も、華麗さもない。

 夏休みに入って間もない7月中旬、女子大生と助教授は一緒になるか、別れるか、最後の結論を出す約束で、京都旅行を計画していた。午後4時、新幹線下り「ひかり号」に乗る予定で、二人は東京駅のホームで待ち合わせた。しかし、新幹線には乗らなかったのである。

 結ばれるか、別れるか。いずれにしろ結論が出る京都旅行を、彼女は待ち望んでいた。それを中止し、東京駅から突然、相模湖なり芦の湖行きに変更される理由は、彼女の側からは考えられないことである。

 観光旅行でも新婚旅行でもない。女の将来を決める重要な意味のある旅行を、いとも簡単に行先変更に応ずるはずはない。それなりの理由がなければ、京都行きは中止されないのである。

 助教授は、恩師の教授の八王子の別荘を借りて彼女としばしば会っていた。教授も成り行きを心配して、何回となく相談にのっていた。

 助教授は教授の別荘で、教授にも話に加わってもらい、納得のいく結論を出そうと彼女を説得し、半ば強引に京都行きを変更させたと推理するのが妥当であろう。京都行きの2枚の切符が、使われないまま、研究室の助教授の机の中から発見された事実は、何を物語っているか。どうしても別荘に向かったとしか考えられないのである。

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 この結論は、別荘周辺から彼女の靴の片方が発見されたり、その他の捜査状況とも一致し、理屈などではなく、状況証拠の裏付けがあったのだ。

 説得力のある話の展開と、その気迫に、私の頭の中の遊びのような推理などは、いっぺんに吹き飛んでしまった。