偽装殺人、他殺を装った自殺……。どんなに誤魔化そうとしても、もの言わぬ死体は、背後に潜む人間の憎しみや苦悩を雄弁に語りだす。

 死体を扱って約30年の元監察医・上野正彦氏が綴る大ベストセラー『死体は語る』(文春文庫)を一部抜粋して紹介する。(全4回の3回目/続きを読む

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 1月中旬ともなれば寒さは一段と厳しい。温暖な季節よりも、寒い季節の方がはるかに変死の数は多くなる。とくに高齢者の突然死が増えるからである。

 監察医の仕事は盆も正月もない。連休で病院や開業医が休診のときなどは、診てもらう医者がいないので変死扱いになるケースが多く、ことのほか忙しい。

 そんなある日、私は警視庁捜査一課の刑事さん二人の訪問を受けた。警察官の検視に医学的知識で協力するのが監察医の役割でもあるから、検死の現場では、当然法医学的な質問を受けることになる。時には北海道や九州などからも、警察電話で質問を受けることがある。眼瞼(がんけん)結膜下に溢血点があっても病死でよいか、病死とすれば死因は何が考えられるか、など高度な質問が多い。

©AFLO

 それも、そのはずである。変死体に直面して、これをどう判断すべきか。判断いかんによっては単なる病死か、あるいは殺人事件にもなりかねないからである。岐路に立たされた責任ある警察幹部検視官の苦悩が電話越しに伝わってくる。

 しかし、今日の質問は違っていた。二人の刑事は真黒に日焼けしていた。

助教授に殺された女子大生の遺体が見つからない

「実は、女子大生殺しの担当の者です」

「八王子の別荘周辺に死体を埋めたとの判断で、そのあたりを掘り返しているのですが、半年を過ぎても、遺体は見つからないのです」

 とくに、12月に入ってからは冷え込みが厳しく、関東ローム層が20~30センチにわたって凍りつき、とても掘るどころではないというのである。両手をひろげて、豆だらけのぶ厚い手のひらを見せてくれた。 

 事件というのは、ある大学の大学院の女子学生が妻子ある助教授と恋仲になった。妻子と別れて結婚するとの約束になっていた。しかし、実現はしなかった。 男にとって、妻子と別れるということは、そう簡単なことではない。肉体関係を続けるための口実にすぎないとみるべき場合が多いものだ。話はもつれ、彼女は必死に妻の座を要求した。要求すればするほど、男にとっては女の存在はうっとうしくなる。

 その年の夏休みに入って間もない7月のなかごろから、彼女は行方不明となった。実家には「2週間ほど旅行に出ます」との自筆の手紙が届いていた。しかし、このとき彼女は殺されていたのである。

 助教授はいろいろなアリバイエ作を行っていた。その反面、大学の親しい友人に、大変な方法でケリをつけたことを告白していた。良心の呵責にさいなまれ、強度の精神不安に襲われていた。