偽装殺人、他殺を装った自殺……。どんなに誤魔化そうとしても、もの言わぬ死体は、背後に潜む人間の憎しみや苦悩を雄弁に語りだす。

 変死体を扱って約30年の元監察医・上野正彦氏が綴る大ベストセラー『死体は語る』(文春文庫)を一部抜粋して紹介する。廃品回収業の中年男性・池さんが自宅で亡くなっているのが発見されたが、その死体には「謎」が多かった。顔の下半分の骨が露出し、さらに局部がえぐり取られたようになくなっていたのだ。検死の中で、上野氏が発見したものとは――。(全2回の2回目/最初から読む)

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検死の結果、「のど」から見つかったものは

 監察医の出番である。

 いくら慣れているとはいえ、このような現場は苦手である。臭くて、汚くて、たまったものではない。それにウジ虫の集団がうごめく様を見ていると、からだ中がザワつくような異常感が走って、薄気味悪くなる。しかし、職務上手を抜くわけにもいかない。ゴム手袋をした刑事が、着衣をぬがせ全裸にする。大変な作業である。

 検死が始まる。頭部に外傷はない。首を締められたような痕跡も見当たらない。ただ右の耳たぶがギザギザに切り取られたように半分なくなっているが、周囲に出血がないので、死後の損傷と思われた。

 陰部も耳と同じように、えぐられ、その周辺に出血はなく、現場にも血液の流出や血痕などは見当たらない。また池さんが犯人と格闘したような乱れや抵抗の様子もなく、防御創などもない。

 やはり、死後何者かに切り取られたのであろう。その他、下腹部に線状の擦過傷が十数本縦に横に不揃いに散在している。しかし、外観から死因になるような所見は見当たらなかった。

©AFLO

 聞き込みその他捜査状況からも、疑わしい点はなく、殺しの線も出てこない。とりあえず、死因究明のため監察医務院で行政解剖をすることになった。解剖室のライトに照らし出された死体には、監察医をはじめ立ち会いの警察官など十人近い人の眼が集中していた。

 胸から腹へとメスが走る。

 各臓器はかなり腐敗が加わっているものの、これという病変は見当たらない。ただ肝臓は肝硬変があって、アルコール中毒を思わせた。頭蓋も開けられた。しかし、外傷や脳出血などもなかった。

 無言のうちに解剖は進んでいく。

「これだ」

 という監察医の声に、一同の眼はその方向に向けられた。喉頭部の気管の入り口に、クルミ大の食物塊が詰まっている。カメラのフラッシュがたかれた。

 団子のように丸まった食物塊をピンセットでほぐしながら観察する。マグロのブツギリのようであった。これがのどに詰まって窒息したのだ。

 陰部、顔面、右耳の損傷および下腹部の線状擦過傷には、すべて生活反応がなく、死後の損傷であることがはっきりした。