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「警察犬も役に立たない」監察医が考える、死体が見つかりにくい“隠し場所”

『死体は語る』 #4

2024/03/28

source : 文春文庫

genre : エンタメ, 読書, 社会, サイエンス

note

夏と冬とでは、死体の腐り方がまったく違う

 結局、別荘周辺を掘り返す話に戻った。刑事さんの質問に答えねばならなくなった。人間が死ぬと、徐々に腐敗が始まる。夏と冬とでは腐りの速さが全く違う。東京と大阪でも、腐敗の進行度に大きな違いがある。同じ部屋でも日当たりのよい場所、悪い場所でかなりの差が生じ、また太った人とやせた人でも違ってくるので、腐敗の基準はない。ケースバイケースなのである。そこに、死後変化の難しさがある。

©AFLO

 かつて、カスパーという学者は、空気中に置かれた死体の腐敗の進行度を1とすれば、水中死体の腐敗度は2倍遅くなり、土中に埋めた場合は8倍遅いと報告している。とはいえ、必ずしもこれにあてはまる死体ばかりではない。

 いずれにせよ、彼女は土中に理められ半年間、東京の八王子で夏、秋、冬と三つの季節を過ごしていることになる。

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 一般的には、腐りはじめは酸化作用が強く、酸性腐敗となってガスが発生し、死体は土左衛門といわれるようにふくれあがる。そのうちに体のたんぱく質が分解して組織が融解し、腐敗液汁が流れ出すと、アルカリ性腐敗に変化し、その悪臭は一段と強くなる。

深く埋められた死体は、腐敗臭が上がってこないので分からない

 しかし、土中に20~30センチ埋められていると、腐敗臭は地上に上がってこない。犬を使う方法もあろうが、警察犬は人間の腐敗臭について訓練を受けていないので、覚えさせるには数年かかるという。たとえ訓練ができても、土中に20~30センチ埋まっていれば、犬の鼻も役立たない。

©AFLO

 私も池の鯉や金魚が死んだとき、実験したことがある。深さ5センチ、10センチ、20センチと穴を掘り魚を埋めておく。近所の猫がやって来て、5センチの深さに埋めた魚は掘り返して食べてしまうが、10センチ以上になると、臭気は地下に密閉されるのだろう、その上を猫も気づかず通過してしまうのである。

「先生、探知機のようなものはないのですか」

 臭いは音などと違って簡単に数量化できないものの一つである。悪臭公害も結局は、数量化できないので、取り締まりにくいといわれている。つまるところ、アルカリ性腐敗臭を人間の鼻で嗅ぎ分ける以外に方法はない。

 スコップで土を掘り返すよりも、パイプを土中に打ち込み、抜き取った穴の中の臭いを嗅ぐか、パイプの中の土の臭いを嗅げば、地面が氷結していてもできないことはないと話をした。

 探知機はこの鼻か、と刑事さんは、自分の鼻をつまんで笑った。

 それから1ヵ月半たった、ある寒い朝早く、私は電話で起こされた。

「先生、私です。ありがとうございました。おかげ様で見つかりました」

 聞き覚えのある刑事さんのはずんだ声であった。ニュースは女子大生の遺体発見を大々的に報道していた。

「執念の捜査7ヵ月」

「別荘裏、地下50センチ」

「腐敗臭をつきとめた検土杖」

 と見出しは派手であった。

 大手柄の二人の刑事さんの写真も載っている。

 犯人は死亡し、目撃者もいない。

 殺して埋めたらわからないといわれた難事件も、春を待たずに解決した。

死体は語る (文春文庫 う 12-1)

死体は語る (文春文庫 う 12-1)

上野 正彦

文藝春秋

2001年10月10日 発売

「警察犬も役に立たない」監察医が考える、死体が見つかりにくい“隠し場所”

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