その引退がこれほど多くのマスコミに取り上げられ、その歴史がこんなにも熱く多くの人に語られるというアスリートもいないだろう。

 シアトル・マリナーズのイチロー外野手が、3月21日、東京ドームで行われたオークランド・アスレチックスとの開幕第2戦を最後に現役引退した。

最終戦は4打数0安打に終わった ©文藝春秋

「後悔などあろうはずがありません」

「最後にこのユニフォームを着て、この日を迎えられたことを大変幸せに感じています」

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 そう言うと、大きく息をついたイチロー選手。昨年3月に行われたマリナーズへの復帰会見で目をわずかに潤ませ、背番号51番のユニフォームを手にして微笑んでいた姿を思い出す。深夜未明から始まった会見は85分にも及び、集まった報道陣は約300人にもなったという。その会見から、イチローの見えざる一面を探ってみた。

「今日のあの球場での出来事。あんなもの見せられたら、後悔などあろうはずがありません」

 試合が終わってもほとんどの観客が帰ることなく、イチローを待っていた。「もう一度その姿を」と願う観客は、イチローコールやウェーブを繰り返す。

深夜の記者会見は85分にも及んだ ©文藝春秋

“見たら”ではなく“見せられたら”

 引退表明の速報は、試合の真っ最中に流れていた。それを“出来事”と表現し、「ゲーム後にあんなことが起こるとは、とても想像してなかった」と語ったように、試合が終了してもなお、観客が待っていたのは想定外だったのだろう。

 試合は延長戦になり、終了したのは12回。イチローは8回裏で交代を告げられ守備を退いていた。グラウンドを後にする時は、試合中にも関わらずチーム全員がベンチに戻り、ハグをするという感動的でセレモニー的な演出がされていたほどだ。

©文藝春秋

「出来事」と言った後に長い間があき、イチローの口元が微妙に動く。今さっきの光景が思い出されたのだろう。だが彼は“見たら”ではなく“見せられたら”と言った。本当はグラウンドに戻ることなく、会見に行く予定だったのではないだろうか。最初から姿を見せるつもりだったなら、“見せられたら”という受け身ではなく、“見たら”と表現するのが普通だと思う。戻るつもりがなく、予想もしなかった光景が目の前に広がっていたからこそ、そのインパクトは大きかったに違いない。

 球場に残っていた観客らの姿を見て、彼の顔には満面の笑みが広がっていた。「死んでもいいという気持ちは、こういうことなんだ」と彼は語った。