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「誰かの思いを背負うというのは、それなりに重いこと」

「やっぱりヒットを1本打ちたかったですし、応えたいって」

 その言葉の裏には、期待に応えることができなかった自分を観客が待っていてくれたという思いもあった。誰もがイチローの安打を願っていた。特に引退という速報が流れた後の2打席のプレッシャーは相当だったはずだ。「誰かの思いを背負うというのは、それなりに重いこと」。そんな思いをひしひしと肌で感じていたが、今の彼にそれは難しかった。

©文藝春秋

「結果を残して最後を迎えられたら一番いいなと思っていたんですけど、それは叶わずで」と、首をやや傾げて目を細め、表情を歪めて、“いいなと”と希望的な言い方をした。続けて“叶わずで”と言いながら視線を落としたことで、すでに無理かもしれないという感覚がどこかにあったことや、打てなかった無念さや残念さが伝わってくるようだった。

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「色々な記録に立ち向かってきたわけですけど、そういうものは大したことではないというか」

 イチローは新しい記録を次々と打ち立ててきたが、それを小さなことにすぎないと語った。イチローの記録への考え方が表現された部分だ。「僕ら後輩が先輩の記録を抜いていくというのは、しなくてはいけないこと」と語るように、記録はいずれ誰かに越えられるものであり、自らの行いも後輩としての義務だという。

大谷選手について語りながら目は輝いていた

「その想像を翔平はさせるじゃないですか」

 そんな“しなくてはいけないこと”を次に背負う選手として、イチローの頭に浮かんでいるのは、大谷翔平選手だろう。

「人とは明らかに違う選手」「世界一の選手にならなきゃいけない選手」と、大谷選手について語りながらイチローの目は輝いていた。ピッチャーとしても打者としても記録を打ち立てる可能性を話す時は、その目が大きく見開き、なんだか嬉しそうでもあり眩しそうにも見える。将来を楽しみ期待しながら、トップアスリートとして自分にない素質と才能にちょっぴりジェラシーを感じている。そんな印象を受けた。

©文藝春秋

「どの記録よりも、自分の中で、ほんの少しだけ誇りを持てたことかな」

 そう言いながら、彼は何度も頷いた。越えられる記録は自分だけのものではない。価値があるのは誰にでもできない、誰も超えられない自分だけの経験や瞬間。トップアスリートだからこその感覚だろう。