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「一つひとつの積み重ねでしか自分を越えていけない」

 球団の特別アドバイザーに就任した去年の5月からシーズン最後の日まで、ゲームに出られなくても練習をして、美学とも言われた準備やルーチンをこなし続けたイチロー。28年という野球人生では、試合に出られず苦しみ、諦めてしまった多くの選手を見てきたことだろう。誰かと自分を比較すると、人はそこから生じる様々な感情に苦しむ。「はかりは自分の中にある」と語るイチローは、他人と比較しないことで自分を守り、コントロールしてきたともいえる。

 だが、「誰にでもできないことかもしれない」という言葉から、己との戦いは実は苦しく厳しいものだったと想像できる。だからこそ「自分なりに頑張ったきたというのははっきり言える」「一つひとつの積み重ねでしか自分を越えていけない」と、頑張ってその時期を乗り越え、今日という日を迎えた自分に誇りを持てたと語ったのではないだろうか。

メジャーでは計3球団でプレーした ©文藝春秋

「え、おかしなこと言ってます? 大丈夫?」

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 会見中、質問に答えた後、イチローは何度か質問した記者にこう問いかけた。おそらく記者がメモをしていたか何かで、イチローから視線を外していたか、彼の答えに反応しなかったのかだろう。彼は質問者をできる限り、射るような目で見つめながら答えていたからだ。

「こんな終わり方でいいのかな? キュッとしたいよね」

 そこには自分の言葉に責任をもち、きちんと真摯に答えたい、できることはしたいという彼の姿勢が見える。イチローはマスコミ対応に厳しく、記者泣かせ。プロ意識の強さから記者にもレベルの高さを求めるため、質問の仕方や内容にも厳しいと聞く。会見中も同じような質問は止めるし、間違った質問は訂正していた。

 そんなプロ意識の強さは、打席内での感覚の変化を聞かれた時、「いる? それここで。いる? 裏で話そう」という返事にも表れている。それこそが安打が打てなくなった理由だろうが、それを打ち明けることはイチローの美学に反する。なんでも明け透けにするのではなく、プロだからこそ見せない一線があるとわかる返事だった。

©文藝春秋

「そこは3000個握らせてあげたかったなぁと思います」

 弓子夫人について聞かれたイチローは、「一番頑張ってくれたと思います」と表情を緩めた。妻がどんな風に彼を支えてきたのか、彼女が引退についてどう思っていたのか、それをホームの時、ゲームの前に食べるというおにぎりの数に例えた。

 これに限らずイチローは独特の間で独特の表現をする。菊池雄星選手について話した時もそうだ。キャンプ地から日本へ移動した時、「これじゃダメだろ」と言うイチローに「そうですよね」と答えながらジャージ姿だったというエピソードで、菊池選手の印象を話した。そんなエピソードを聞いているこちらは、その光景を映像として思い描くことができる。その映像によって、彼が見たこと、感じたことを自分に置き換えて共感できるのだろう。

©文藝春秋

 最後は「こんな終わり方でいいのかな? キュッとしたいよね」と語り、孤独感に関する質問には「孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います」と胸の内を明かした。納得のいく答えができたのか、「締まったね、最後」と自ら笑顔で会見を終えたイチロー。最後は自分自身で、思っていたような形で締めたかったのだろう。引き際の美学としては、これ以上のタイミング、舞台に勝るものはない。