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宴会の人々が「妄想の梅」を詠んだ理由

 と、ツッコミがヒートアップしてしまったが、こうした事実から考えられるのは、おそらく、宴会の人々は、各々「妄想の梅」を詠んだのだ、ということである。

 つまり庭に実際咲いている梅というよりは、想像のなかの梅。2月の咲き始めの梅じゃなくて、自分が想像するなかで一番きれいな、梅の風景を歌にしたのだ。では、なぜ彼らはわざわざ梅を妄想して詠む宴会をひらいたのか?

 実は、この宴が開催された背景に、宴会の重要人物である歌人のひとり「大伴旅人」が、赴任先である大宰府へ移住してきた直後、妻を亡くしている。

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太宰府天満宮 ©時事通信社

 つまり、梅の花を見る宴会といいつつ、ここには大伴旅人を慰めるという意図が存在する(この宴会だけじゃなく、ほかの歌からもその事情が分かる)。ちなみにこの宴では、それとなく旅人の孤独な暮らしに配慮した歌も詠まれている(818番。この歌も裏事情が面白いのだけど、長くなるので詳細は省略)。

 目の前にある寒い冬の梅だけではなく、もっとあたたかい時期の、春の梅を想像して歌に詠むことが、妻を亡くした旅人への慰めだったのである。

「令和」の出典は、「誰かのために想像力を使う」ことばだった

 元号と題詞の話に戻ると、題詞の中で元号に用いられたことば「令月」とは「(何事をするにも)いい月(転じて、正月のこと)」、「風和」は「風がやわらぐ」意。つまり題詞はこう述べる。妻を亡くした旅人をかこむとき、酒を飲みつつ、満開の梅を想像しよう。だって今日はこんなに春の香りのする、すてきな月で、風がここちよく吹く日なのだから――。

 そんな、誰かのために想像力を使う、春の景色を歌うことばが、「令和」の出典なのだ。なかなかどうして次の時代に向けて象徴的ではないだろうか?

福岡県太宰府市の大宰府展示館にある、「梅花の宴」を再現した人形(ただし、当時本当に梅が咲いていたかは疑義が呈されている) ©時事通信社