きょう4月8日は「忠犬ハチ公の日」だ。JR・地下鉄・私鉄の各線が集まる東京の渋谷駅前に建つ忠犬ハチ公像は、全国的に知られる。そのモデルとなった秋田犬のハチは、1935年3月8日に死亡した。毎年4月8日には、ハチの慰霊祭が渋谷駅のハチ公前広場にて開催されている。命日から1ヵ月遅れなのは、桜のきれいな季節に合わせてのことだとか。
ハチの飼い主は、東京帝国大学(現・東京大学)農学部教授だった農学者の上野英三郎である。上野が亡くなったあともハチが毎日渋谷駅に出かけ、主人を待ち続けたという話はあまりにも有名だ。これはハチの生前、1932年に東京朝日新聞で記事になったのを機に広く世間に知られるようになった。
蹴られ、水をかけられ、落書きされ……散々な目に遭ったハチ
ハチは1924年1月、秋田犬の子犬を所望した上野が秋田から送ってもらって、上野家で飼われ始めた。このとき生後2ヵ月ほどだったが、生来胃腸が弱く、半年間は病気を繰り返し、上野は自分のベッドに毎日寝かせるなどして看病をしたという。そのかいあってハチは回復する。元気になると、渋谷・松濤の家から駒場にある大学へ徒歩で通勤する上野を送り迎えするようになり、上野が、現在の東京都北区にあった西ヶ原農事試験場や各地に出張する際には渋谷駅まで同行した。だが、幸せな日々も1年半ほどで終わりを迎える。上野が1925年5月21日、大学で突然倒れ、亡くなってしまったからだ。
上野の没後、ハチは上野家の事情もあって住み家を転々とする。夫人と子供はいったん知人宅に身を寄せ、ハチは親戚宅に預けられるが、しばらくすると追い出されてしまう。やがて夫人が世田谷の新居に引っ越すと呼び戻されたものの、隣りの農家からハチが畑を荒らすと苦情が出た。農夫に棒で殴られて血を流しながら帰って来たこともあったという。そんななかで、ハチは渋谷駅に通い始めた。それを知った夫人は、ハチの幸せを考え、1927年秋、渋谷に住む知り合いの植木職人の家へ断腸の思いで預けたのである。
だが、ハチは渋谷でも受難続きだった。体の大きい秋田犬だけに、改札付近にいると、客から邪魔だと蹴られることもあった。ほかにも駅員から水をかけられたり、墨で顔に落書きされたりとさんざんな目に遭う。野犬狩りが盛んに行なわれていたころでもあり、ハチも逃げそこなって何度か捕らえられた。1929年に皮膚病で一時命が危ぶまれたときには、植木職人の懸命な看護により生還したものの、数年前に負傷していた左耳が垂れてしまった。