消えた1代目ハチ公像
銅像完成の翌年3月8日早朝、ハチは当時住みついていた渋谷駅を出て、近所の路地で死んでいるのを発見される。死後、解剖され、内臓は上野家が青山につくっていた犬の墓に埋葬されるとともに、一部は解剖を行なった東京帝大に保管された。遺体は東京科学博物館(現・国立科学博物館)で剥製にされ、現在も同館に保存・展示されている。
亡くなるのと前後して、ハチは修身の教科書に「恩を忘れるな」と題してとりあげられるようになった。以後、戦時色が濃くなるなかにあって、ハチに対し「主人の恩に報いるため、忠義を尽くして待ち続けた忠犬」というイメージが強まっていく。太平洋戦争中の1944年には、ハチ公像は軍需品をつくるための金属回収運動で供出され、渋谷から消えた。制作者の安藤照も、1945年5月の山の手大空襲で亡くなってしまう。
海外でも人気の2代目ハチ公 再開発での一時移転先は?
渋谷駅前に再びハチ公像が建てられたのは、終戦から3年後の1948年だった。8月15日の除幕式では、世界各国の児童代表によって幕が引かれ、各国の代表が祝辞を述べた。その前年には、東京商工会議所が中心となり銅像再建世話人会が結成され、建設資金が一般からの募金により集められた。2代目のハチ公像を手がけたのは、安藤照の長男・安藤士(たけし)である。空襲により父とともに、帝展に出展された石膏像も失われていたが、士は初代銅像の写真やハチの剥製、生前の写真と計測表をもとに銅像を見事に復元した。
ハチのことは戦前より海外でも知られていた。アメリカの社会福祉事業家のヘレン・ケラーも1937年の来日時、秋田県を訪ねた際にハチの話を思い出し、現地で秋田犬を所望して、子犬を譲り受けた。その後、1948年の再来日時には、再建まもないハチ公像とも対面している。時代は下って、2009年にはリチャード・ギア主演で、ハチの実話を下敷きにした映画『HACHI――約束の犬』がつくられ、アメリカ本国では劇場での一般公開はされなかったものの、DVD化されると高い評価を受けた。ハチの主人への愛情は、普遍的なものとして世界中の人たちの心を動かしたのである。
ハチが生きていたころの渋谷はまだ道も広場も狭かったが、戦後すっかり様変わりした。ハチ公像は1989年、駅前広場の拡張時に少し移動し、ハチの顔が駅の改札口に相対するようにそれまでの北向きから東向きへと変更された。現在、渋谷駅周辺では再開発計画が進められ、ハチ公像が工事のため一時移転する可能性もあるという。ただし、渋谷区や開発主体である東急電鉄に問い合わせたところ、現時点では移転の時期や場所など具体的なことは何も決まっていないそうだ。いまなお変貌を続ける渋谷の街を見つめながら、ハチ公像は今年も桜の季節を迎えた。なお、2代目ハチ公像の作者・安藤士は今年1月に95歳で亡くなっている。
■参考文献
斎藤弘吉『日本の犬と狼』(雪華社)
林正春編『ハチ公文献集』(私家版)
飯田操『忠犬はいかに生まれるか ハチ公・ボビー・パトラッシュ』(世界思想社)
一ノ瀬正樹・正木春彦編『東大ハチ公物語 上野博士とハチ、そして人と犬のつながり』(東京大学出版会)
「しぶやフォト日記 平成30年(2018年)4月」(渋谷区公式サイト)