4月の好調は、蜃気楼だったのでしょうか。ドラファン達が空に向かい両手を広げ、鳥や雲や夢までも掴もうとしていたのでしょうか。5月の中日ドラゴンズは絶不調です。平成って良い時代でしたね。

 とはいえ、中日ドラゴンズの全てが不調なわけではございません。過去最高売上を記録した春季キャンプから、グッズの販売は引き続き好調を維持しています。ビューティー&ユース ユナイテッドアローズとのコラボアイテム、令和フェイスタオルなど、シーズンに入ってから発売された新商品の多くは売り切れ入荷待ちとなっており、これぞ正に“昇竜復活with blue”。チームの勝敗と違い、グッズの売上は個人の力で左右出来るので、身銭の切り甲斐があるというものです。

 そして、満を持して5月17日(金)からナゴヤドームで“さるぼぼ”が再発売されました。岐阜県飛騨地方の名産で、地元出身のルーキー根尾昂&垣越建伸のユニホームを着た“さるぼぼ”が3月2日にナゴヤドームで発売されたところ3200個が即完売。ニュースでも大きく取り上げられ、ナゴヤドームでは完売以来「大好評につき売り切れました」と紙が貼られているのみでしたが、それもようやくお役御免となりそうです。お疲れ様、紙。

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 ただ、そもそも“さるぼぼ”って一体何なのでしょうか。そして根尾選手と中学時代チームメイトだったとはいえ、何故全国的には無名だった垣越選手の“さるぼぼ”も製作されることになったのか。

 わからないことは、作った本人に聞くしかない。というわけで、名古屋駅から車で3時間強、飛騨高山にお邪魔して、“飛騨のさるぼぼ製造協同組合”代表理事の中澤澄生さんに直接お話を伺ってきました。

岐阜県飛騨市出身のルーキー・根尾昂 ©文藝春秋

“さるぼぼ”の謎を解くため、飛騨高山へ

 実際にお会いしたところ、中澤さんも取材の合間に「今年のドラフトは誰で行きますかね。星稜の奥川くんか、東邦の石川くんか」なんて話が出るほどの熱いドラゴンズファンでございました。それでは、まずは“さるぼぼ”誕生秘話から語っていただきましょう。

「“さるぼぼ”というのは飛騨弁で“猿の赤ちゃん”という意味で、飛騨地方の安産のお守りです。奈良時代に遣唐使が中国からこういった人形を持ってきて、当時それを貴族のお妃様が安産のお守りとして使ったものが由来と言い伝えられております。当時は今より子どもを産むということは大変なことで、健康に育たない赤ちゃんも多かったですから、“元気な子どもに育ちますように”という思いが強かったのだと思います。

 その後、一般的には廃れてしまうのですが、高山は山に囲まれていて、外から情報が来づらかった。そのためこういう文化や人形が遺っていました。そして私がそれまで勤めていた親戚の会社から独立した時、地元のおばあちゃんが赤い人形を持っているのを見て“これは中々インパクトがあるな”、そう思って“さるぼぼ”をお土産として製作し始めました」

 それが昭和53年4月、中澤さんが31歳の頃の話です。若かりし中澤さんが、地元に残った風習を産業へとシフトチェンジしたのでした。当時の“さるぼぼ”は今の様な姿ではなかったそうですが、次第に形を変えながら、中澤さんの会社の主力商品となっていきます。

歴代の“さるぼぼ”達、右上が昭和53年当時に製造されていた初期の物 ©カルロス矢吹

「最初はもっと胴が細長かったんですけど、短い方がかわいいよね。それで胴を短くして、顔を大きくして、ちゃんちゃんこを着せて……っていう風にしていったら、かわいい方が売上は伸びましたよね。当然ね。

今は、『飛騨のさるぼぼ製造協同組合』で商標登録しておりまして、組合に加盟している高山の会社でしか作っておりません。中国から伝わったものは目がないんですが、最近は目や顔が書いてあるものを販売している業者さんもおり、進化しております」