文春オンライン
文春野球コラム

2012年の日本ハム・中田翔 若き4番打者に魅せられたあの日のこと

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/05/28
note

【えのきどいちろうの推薦文】

 シンガーソングライター、石村吹雪さんを代打起用します。石村さんは僕が昔、文化放送でやってた朝ワイドのリスナーだったそうです。ちなみにこの番組は当時、サントリーのラグビー部員だった清宮克幸氏も営業車で聴いてくださってたそうで、後年取材でお会いしたとき開口一番「日ハム!」と言われました。それくらい日ハムのことばかりしゃべってた番組なんですよ。この原稿は東京のファイターズファンの心情をうまく伝えてくれてますね。本当に「ホームチームの喪失」は大事件でした。でも、他にどこも行くとこがないんですよ。野球は人生のつっかえ棒です。石村さんもつっかえ棒につっかえてもらってるうち、中田翔のホームランと劇的な出会い方をする。中田翔のホームランって何であんなに嬉しいんでしょう。直近の西武12回戦、松本航から放ったバックスクリーン直撃10号を見ましたか? あれが反撃のノロシになって試合をひっくり返した。石村さんは飛び上がって喜んだに違いないです。で、その喜びを歌にしたんですよ。初めての試みですが、ラストに動画をつけてみました。ぜひ石村さんの歌も楽しんでくださいね。

◆ ◆ ◆

ADVERTISEMENT

 30代に入った頃、そろそろ引き返す道もなくなっていくのを感じながら、僕は歌を続けていた。稼げなかった。金がなくて店という店に立ち寄ることすら忌むようになっていた。仕方ない。好きなことをやってる。だから仕方ない。なかなかうまいことなんてないさ。

 誰とも話さずにすむ地図調査員のバイトをしたとき、ラジオを聴く習慣ができた。文化放送の朝の番組。つっかえながら話すパーソナリティがいた。猛烈なファイターズファンらしい。その人は野球場に入り浸っていて、東京ドームに行くと逢えるらしい。東京ドームならお馴染みだ。通った高校が近かったし、ドーム建設は富坂から眺めていた。

 行ってみようか。チケットは650円もあれば近所の金券屋で買えた。自由席だ。ガラガラだもん。お尻の他に荷物と足の置き場だって確保できるくらい。ファイターズが東京にいた頃はそんな感じだ。

 だいたいぼんやり、見ていた。いいことなんてほとんどないけど、だからってせかせかしたり、挙句くよくよしてるくらいなら、ぼーっと野球見てたっていいじゃん。自分は野球が好きだったと気がついた。いつの間にか心底、救われる時間になっていた。いいや、今はここにいるだけでいいや。何にもならないけど。
 
 年々入れ替わって行く選手たちを見ながら、こっちには替わりはいないから、歌をやめる心配だけはないぜ、なんて、強がっていたっけ。

 緊張感の感じられない間延びしたながーい試合をやっていると、これだから野球は馬鹿にもされるんだぞー、と、拳を握ってたっけ。

 ラジオの影響であんまり強くはないチームを応援する羽目になったけど、こっちも負け犬みたいだったから、感情移入は自然だった。

 お願いだから今日は負けるな、と念じた。

 そのパーソナリティを球場で見かけることはあっても、土産話ひとつない身の上で話しかける気分になんて、なれなかった。

 でも楽しい時間だったなあ。いいや、今は。ここにいるだけでいいや。何にもならないけど。

 それからずっと何年もずっと、特別いいことなんかないぜ、といつも心のうちに呟きながら、僕は好きなことを続けてきた。

僕らは自由席に取り残されたんだ

 平成の時間は飛ぶように過ぎていく。

 東京に住む僕たちはホームチームを失い、虚脱状態になり、幾晩も眠れない夜を過ごし、やがて朝のトーストを食べて、新しいファイターズを応援するようになる。

 僕は野球の情景を思い出す。高々と打ち上がった内野フライで試合が終わる夏が終わる季節が終わる。人によっては野球が終わる。その美しさ。

 あるいは、誰ももう語ることもない試合。やっとの思いで上げた打球が反撃開始の犠牲フライになったこと。応援もむなしく、最後に外野を割ってフェンスに当たったあの打球。

 あの時間、この世界には、この試合この野球しかなかったのに、ほんの一瞬で世界が終わってしまった。そういうのが野球だ。

 僕らは自由席に取り残されたんだ。変わることができずに取り残された。

 でも、野球ファンってのは切り替える人種だ。オーケー、明日勝とう。明日借りを返そう。特別いいことなんかないぜ。大丈夫、こっちは慣れてる。僕らはそんな風に新しい北海道日本ハムファイターズとつき合ってきた。

文春野球学校開講!