この心地よさときたら、只事じゃない。笑えて、しかも寛げる。おまけに、主人公にすんなり共感できちゃう。
原作は藤子・F・不二雄のマンガ、脚本と演出を“勇者ヨシヒコ”の福田雄一が手がけた『スーパーサラリーマン左江内(さえない)氏』の初回を三回も繰り返し観てしまった。
家族からは疎まれ、社内でも信頼度はゼロ。ダメダメ係長の左江内(堤真一)が、謎の老人(笹野高史)から「スーパーヒーローに、なってみない?」と勧誘される。
責任を負わされるのが大の苦手な左江内は、柄じゃないと固辞するが、「サラリーマンのついでにやってよ」と強引にスーパースーツを渡される。左江内のハンパじゃない情けなさを巧みに戯画化して演じ、なおかつ嫌味にならない堤真一の底力に驚く。
家庭での左江内は、一般的にいえば悲惨の一言。妻(小泉今日子)は家事一切を夫に押しつけ、高校生の娘(島崎遥香)は「パパの弁当、超しょっぱくて、汁でべちょべちょ」と容赦ない。
最初のうちは寝坊した娘を空中浮遊で学校に送ったり、帰宅ラッシュを避けて、空をひとっ飛び。気楽な兼業だったが、やがて「助けてえ!」と救いを求める悲鳴が左江内の耳に聞こえてくる。
世の為、人の為。そんなこととは無縁でいたい左江内だが、耳がキャッチする叫びはやはり無視できない。飛び降り自殺を試みる女性を空中で受け止め、猛火で逃げ遅れた犬を救助する。ヒーロー役をこなすと「それじゃ、会社に戻って雑務を」と立ち去る。
最近サラリーマンって言葉をあまり聞かない。被雇用者と呼ぶケースが多いかな。それも過労死、パワハラとネガティヴな印象がつきまとう。高度成長まっ只中、植木等が“無責任男”を謳歌していたころが、サラリーマンの黄金時代だった。何十年も前から、若僧たちは「リーマン」呼ばわりだしね。
世界や人類の救済なんて、私には無理です。そんな人間がスーパーヒーローを無理やり押しつけられる。この時代にサラリーマンとスーパーマンをこなすという二重苦。それを渋々、困ったなあと愚痴りながら片づけていく堤真一が、いい味だしてる。
スーパースーツから忘却光線が放たれるから、誰も左江内の活躍を覚えていない。ヒーローや正義を待望する空気が世界中に渦巻く時代に、欲も野望もない非・ヒーローの存在は一服の清涼剤だ。