「もし小出さんでなかったら……」
そのような冷静かつ綿密な組み立てとともに、ひたすら「情熱」を選手に傾けた。
「ほめて育てる」方針であることで知られていたが、誰にでもよいところはあるという信条を核に、選手1人1人を伸ばしてあげようとする姿勢に変わりはなかった。
そう、「剛」と「柔」、「合理性」と「情熱」、そんな対照的な要素を貫くものこそ、選手への愛情だった。それが根底にあって、ときに頑固に、ときに熱血漢として、冷静に考え、選手の気持ちを高めることに腐心した。言ってみれば、小出氏の最大の特性とは、選手への強い思いではなかったか。だから手を抜くことなく選手1人1人に向き合い、エネルギーを注ぎ、速くなることに情熱を燃やすことができたのである。
もちろん、指導者としての野心はあっただろう。でもそこに、私欲の強さをうかがうことはできない。
「他の指導者だったら、私がなし得ることができなかったことはあると思います」
訃報を受けての有森のコメントは象徴的だ。
「パワハラ」と「鉄剤注射」問題の陸上界に投げかけるもの
そんな小出氏の存在は、有森や高橋の活躍とともに、陸上界のみならず、広く知られていった。指導に焦点をあてた記事などもしばしば書かれた。他の指導者が参考にするための材料は山のようにあった。
だが、陸上界を見渡せば、そうした指導法とかけ離れた様が今なお見受けられる。
昨年、日本体育大学陸上部駅伝ブロックの監督が、暴力行為や人格を否定するような言動などのパワーハラスメントを行なって部員を追い詰め、解任されたのは一例だ。
あるいは、2016年から日本陸上競技連盟が警告を発してきた鉄剤注射の問題。持久力が高まるとして広まったが、鉄分が内臓に蓄積することからくる身体への悪影響があると指摘され、使用しないよう求めたものだ。一部の実業団の指導者からも、長い目で見れば競技生活に弊害があると声が上がっていた。
陸上連盟は指導者や管理栄養士を集めてセミナーも行ない、周知に努めた。それでも昨年、使用をやめない指導者たちがいることが明らかになった。
パワハラも含め、そうした問題から推測できるのは、選手の将来を重んじるより、目先の結果にこだわる指導者の姿勢にほかならない。それは選手のためではなく、自分のためではないのか。
小出氏の指導法には、今なお、そしてこれからも指針となるべき要素が含まれている。
逝去の報に触れて、そう思わずにはいられない。