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いよいよマーチが始まる

 マーチのスタート地点を目指して地下鉄に乗ったはいいが、あまりの群衆の規模に、地下鉄が出発地点の駅をスルーするという。近くのストリートから、マーチに合流するしかない。ところがこちらも予想を大幅に上回る群衆の規模に、ある地点からまったく進めなくなっている人たちがわんさかいる。裾野のエリアには、宗教右派やトランプの支持者たちがプラカードを持っている姿もある。あまりの人出に、互いの距離が近くなってしまうのは必須だ。衝突を危惧しながら、人の群れをぬって、マーチの中心を目指して進む。途中、かつて女性運動化のジェーン・フォンダとともに反戦の行進を歩いたというジョン・ケリー元国務長官が、一市民に戻った初日に、犬と一緒に歩いているのとすれ違った。

©佐久間裕美子

 トランプ大統領が勝利したことに対する国民からのリアクションが、「女性のためのマーチ」であるということはわかりづらいかもしれない。女性たちがトランプ大統領に対して「ノー」と立ち上がることにした背景には、低所得層や移民たちに無料で婦人科検診や避妊ピルの供給を行ってきた「プランド・パレントフッド」への連邦助成金を削減しようとしていたり、一度1973年の連邦裁判決で決着がついたはずの「中絶は女性の権利」という考え方が今また州法レベルでひっくり返されている事情などがある。

それぞれのやり方で「NO」を表明

 けれど、実際に出かけてみると、このマーチを歩いて気がついたのは、ありとあらゆるタイプの人種が、ありとあらゆる権利の保障を求めていたということ。トランプ大統領がたびたび敵視してきた移民たちの権利、イスラム教徒の宗教の自由、先にも言及した「black lives matter」、動物愛護、LGBTQの権利、オバマケアの救済−−いろんな権利の保全と拡大を求めて、各人がありったけのクリエイティビティを使って、「NO」を表明しているのだ。

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 マーチに入ってしまえば、雰囲気はぐっと和やかになる。お年寄りから車椅子の障害者、子供たちまでゆずりあいながら、どこからともなく始まるチャント(スローガンの唱和)に声をあわせていくのだが、「this is how democracy looks like 」(これが民主主義の姿だ)というデモの定番から、「we want a leader, not a creepy tweeter」(求めているのは指導者で、変態のツイッター野郎じゃない)など、こちらもなかなかウィットに富んでいる。歩いている人たちの顔は、みんな笑顔だった。

 歩き疲れて、マーチを離脱したのが夕方5時。キャパオーバーのワシントンDCでは、どこのレストランもいっぱいで、疲れ果てて帰宅した。

©佐久間裕美子

 アメリカ人家族とマーチを歩く、という行為をやってみてわかったのは、抗議運動に参加するということのコミットメントの大きさだ。ニューヨークから電車で3~4時間(料金によって異なるが)、車だったら早くて3時間かかる(マーチの前夜、7時間かかったというケースも耳にした)。時間にしても、前日入、翌日アウトで、ほぼ3日が潰れることになる。

 終了後、ニュースやオピニオン系サイトには、マーチの規模の大きさを報じる記事が優勢的だったけれど、「白人中心」などの批判も目にした。個人的な感触でいうと、女性と男性の比率は、7対3くらい。まわりを見渡して、白人に比べて、マイノリティが少ないことは目についた。けれど、参加するかどうかは、犠牲の大きさは別として、個人の裁量なのだ。問題は誰が参加したかよりも、参加した人の数なのだろう。

 サンドラが呟いた一言が心に残った。

「ヒラリー・クリントンは今頃『あなたたち、私がサポートを必要としていたときどこにいたの?』って思っているかしらね」

©佐久間裕美子