日ごろはそれぞれ個別の創作にいそしむ4人の写真家の、共作展覧会が開かれている。東京・東神田のkanzan galleryでの「ふたりとふたり」。スマホの撮影機能などを通して、私たちがすっかり慣れ親しんでいる写真というメディアのユニークさを、再認識させてくれる展示だ。
私的な往復書簡を覗くような倉谷卓と山崎雄策の作品
倉谷卓と山崎雄策、30代で同世代のふたりはともに気鋭の写真家で、作風というか目指すところにも共通性がある。外界をありのままにトレースできて、まさに真を写すと思われている写真が、本当にそんな機能を有しているのかどうか。むしろ写真とは、平気で嘘をつくことのできる装置なんじゃないか。そんな当たり前を疑う姿勢が、似通っているのだ。
それで両者が生み出す作品は、ぱっと見たときの印象と実際に写っているものにズレがあり、観ている側を困惑させるようなものが多い。そうした効果を出すためなら、写真を都合よく加工することだって平気である。
もちろん画面の美しさは保ちつつ、「写真ってなんだろう」「人の知覚はどこまで信じられる?」という根元的なことまで考えさせられてしまうのが、倉谷と山崎の写真だ。ふたりには共犯関係に近い感情もあったのか、徐々にいっしょに制作や展示をする機会が増えていった。
そうしてここ数年、ユニットを組んで共作を手がけるようになり、そこから「FAN LETTER」なる作品が生まれた。
まずはそれぞれが「大切な人」というテーマのもとで撮影をする。用いる機材はフィルムカメラだ。毎月1枚を選び、ネガフィルムに直接切手を貼って、倉谷は山崎へ、山崎は倉谷へ郵送をする。ネガは受け取った側がプリントに仕上げ、作品の完成となる。
通常、写真作品のネガはできるかぎり大切に扱われるものだけど、彼らはそれを剥き出しのまま郵送してしまう。指紋や傷がつくこともあるだろうに、そんなことは気にしない。「大切な人」を撮った写真は主に恋人同士の親密な絵柄で、郵送の過程では不特定多数の目に触れるのでプライベートを晒すことになるものの、それも気にしない。
これらのネガとプリントをともに並べていく作品は、ごくごく私的な往復書簡を見せつけられるようで強烈な印象を残す。制作過程から撮影者と被写体にくわえて他者が介在していることが、単なる自慢話や自我の垂れ流しになることをうまく防いでいる。