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「ただ、そういう一般論なんて僕には関係ない。父親イコール役者で何が悪いのか、と思っていますよ。僕にとっては役者・三國連太郎が父親であるし、父親・三國連太郎というのは役者なんです」

――お父さまの存在を思い出すのは、どんなときですか。

「家に仏壇があるのでね。あまり信心深い人間ではないですけれど、朝起きて、仏壇を開けて線香あげて、『親父、今日も家族みんなの健康を頼むよ』ってお願いするときには、思い出さざるを得ないです。

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 三國は散骨を希望していました。『なんで叶えてやらないんだ』と言われればそれまでだけど、なかなかできないものなんですよ。一緒にいる時間が少なかったから余計にそう思うのか、僕の中でもまだ答えが出ていないけれど、やはり自分の思いとして、墓を作ってあげたいなと。だから彼の散骨希望は、僕が勝手にやめにしました」

“三國の長男”だったことで得したことは?

――三國連太郎の長男として生まれて、得したこと、損したことがあると思います。

「得したのは、デビューして最初からいい役が付いたことです。時代的にもちょうど、映画界の諸先輩のご子息たちがポツポツ役者として出始める頃で。そういう意味でとても恵まれていたし、それを勘違いした部分も当然ありました」

――「浩市の不都合にならないよう努めた」という言葉を三國さんから何度か聞きました。それを感じることはありましたか。

「まだ自分の力がないとき、親父の名前で仕事をもらっていたにもかかわらず、非常に不遜な思いでいたのは確かです。スタッフから『次の現場は息子さんと一緒なんです』と言われれば、三國は当然のごとく『浩市をよろしくお願いします』と返すわけでしょう。あとでそのスタッフから伝え聞いて、『あんなこと言わないでくれよ』って三國に当たったこともありましたね」

 インタビューでは、稀代の名優が残した数々の“伝説”の真偽や、最晩年、病床についた三國の素顔までが赤裸々に語られていく。

 初めて明かされる秘話満載の、佐藤浩市「父・三國連太郎は僕に嫉妬した」(聞き手・宇都宮直子)は、「文藝春秋」5月号に全文掲載されている。

 親子関係の複雑さゆえか、呼び方が「三國」、「彼」、「親父」と変わっていく細部にも注目だ。
 

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