スポーツのリーダーと言えば、グイグイと引っ張っていく人を思い浮かべる人は多いのではないだろうか。
真面目で温厚、等身大の人じゃ務まらない。
いやいやちょっと待ってください。自分を飾らず、自分の弱さとも向き合いながら自分らしいリーダー像を確立した人が日本サッカー界にいる。
2016年シーズン、Jリーグと天皇杯を制した鹿島アントラーズの将、石井正忠監督その人である。あのレアル・マドリーを苦しめたクラブワールドカップ(CWC)の勇敢な戦いぶりは世界からも激賞された。
シーズン中、結果が出ないことで心労によってダウンした苦い経験をバネに、鹿島OBの彼はリーグ制覇から7年遠ざかっていた常勝軍団を復活させたのだった。
これまでと変わらず「石井さん」と呼んでくれ
――石井監督は鹿島の前身である住友金属サッカー部時代から所属し、97年までアントラーズでプレー。02年からトップチームのコーチを長年務め、15年7月にトニーニョ・セレーゾ監督の解任を受けて昇格しました。監督と選手の「つなぎ役」から、チームのリーダーとして「けん引役」に変わる難しさはありましたか?
「いや、特に意識しなかったですね。選手たちにも『監督じゃなく、これまでと変わらず石井さんと呼んでくれ』と言いました。僕の立場が変わることで、選手も自然にそう見てくれるんじゃないかと思っていましたから」
――長年コ―チをやってきたことでチームをどう建て直していくべきか、ある程度、整理できていたところはありました?
「僕もセレーゾ監督のもとでコーチを務めていたので、自分にも(成績不振の)責任はあると思います。ただ、監督を引き受けた以上、しっかりやらなきゃいけない。まず自分としては、選手たちの力、チームの力をもっと引き出したい、と。サッカーというスポーツは、どう自分からアクションを起こしていけるかだと思うんです。練習からそういう雰囲気をつくっていきたいとは考えました」
――以前の鹿島のように、紅白戦のスライディングを解禁しました。
「実際に試合中に起こるシチュエーションなので、それを自然に出そうよ、と。鹿島は元々、紅白戦が一番エキサイトするので、その雰囲気に戻したいというのは強くありました」
――鹿島らしい雰囲気とは?
「たとえば戦術練習の際、中でプレーしている選手に対して外で見ている選手もドンドン声を掛けていく。やらなきゃいけないことが分かっているから、声が出せるんです。遠慮なく、気がねなくっていうのが鹿島らしい雰囲気なんじゃないですかね」
――ヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)を制して、まさに「V字回復」となりました。
「決勝戦のガンバ大阪戦は結果もそうですが、内容がとても良かった。やっていることは間違いじゃないんだと僕自身、思うことができました」
心労でダウン。「正直、相当落ち込みました」
――昨年、ファーストステージを制覇しながらもセカンドステージに入ってから公式戦4連敗。チーム状況が上向かないなか、横浜戦の前に心労によってダウンされてしまいます。
「正直、自信を失った時期で、相当落ち込みましたね。今振り返れば、自分を追い込みすぎていました。すべての責任を自分で背負い込んでしまっていたというか……強化部やコーチとか周りの人の助けを借りながら改善方法を見つければ良かったな、と」
――遠慮なく、気がねなくという雰囲気は、より良くするためにと選手の思いが各々違ってくるとなかなかまとめるのが難しくなってくるのかもしれません。勝手なイメージですけど。
「監督になって1年。そこはやはり監督としての経験の足りなさが出てしまったと思います」
――横浜戦は大岩剛コーチが指揮を執りました。ただ、テレビで試合を観て「戻らなきゃいけない」と感じたと?
「試合を見たときには、気持ちはある程度(復帰に)切り替わっていました。その前にいろんな方から連絡が来て『何を逃げてんだ』と。でも僕からすれば落ち込んでしまっているだけで、逃げている感覚ではなかったんです。横浜戦は監督の目線で見ていましたし、休んでいる場合じゃないって思えました」