不満を示した金崎夢生に伝えたこと
――休養後、マネジメントで変えた部分はありますか?
「強化部長の(鈴木)満さんからは『このクラブは後ろから支えていくというよりリーダーとして前に出て引っ張っていかなきゃいけない』と言われました。僕はバランス良くサポートしていく自分らしいタイプでいいと思っていました。でも確かにうまくいかなかった部分があったので、少しは前に出ていかなきゃいけないなって。ただ、自分なりにというか自分らしい形でやりたいなと思ったんです」
――たとえば、どのようなことでしょう。
「ミーティングでも良いプレー、悪いプレーを指摘して、やるべきことの指標、道筋をしっかりと示そうと。以前からやってはいたとはいえ、それをもっと強い形にしたということです」
――休養前の湘南戦では金崎夢生選手が交代に不満を示し、握手を拒否したこともクローズアップされました。
「夢生があのような態度を取ったことは、僕自身納得はできるんですよ。でも(不満を示していい)場所、タイミングは考えろ、と彼には伝えました。チーム全体でもそのことは伝えています。そういうことっていつの時代でもありましたからね」
選手が言うことを全面的に信じよう
――Jリーグチャンピオンシップ(CS)、CWC、天皇杯と鹿島の勝負強さが光りましたね。CWCの決勝ではレアルに健闘しながらも延長に入って力尽きた印象です。選手もさることながら、石井監督も相当に悔しそうでした。
「勝つ確率というのはかなり少ないかもしれない。でも可能性がないわけじゃないと思っていましたから。実力差は凄く感じましたけど、取れるタイトルを逃がした悔しさがあってやり切った感がなかったからこそ天皇杯もいい形で戦うことができた。あのとき40日間で10試合をこなさなきゃならない過密日程でした。ただ、僕は敢えてそのことは言わないようにしました。言ったのは『天皇杯を取ろう』って。それもこれもCSで自信を得て、CWCで強い自信になったことが天皇杯の結果に結びついたように感じています」
――ご自身のなかでいろんな経験をして、タイトルを勝ち取れた意義をどう感じていますか。
「本当にそうですね。でもすべてが良い経験になったと思っています。選択肢であったり、引き出しが増えてきましたから。ただそうは言ってもキャリアはまだ1年半なので、今も必死にやっているところですけど」
――リーダーとしてこれからもこだわっていきたいところは?
「こだわりと言うなら、やはり選手に対して、正直に接していきたいと思います、そして僕に対して選手が言うことを全面的に信じようと思っていますね。チームがさらにいい方向に進んでいけると信じています」
いしい・まさただ 1967年生まれ。千葉県出身。選手としてはJ1通算95試合出場3得点。93年のJリーグ開幕年にはボランチとして活躍し、ファーストステージ優勝に貢献。現役引退後、アントラーズのコーチに就任し、2015年7月より現職
写真=杉山拓也/文藝春秋