任天堂の新しいゲーム機「ニンテンドースイッチ」がまもなく、今年の3月3日に発売される。

 最大の特徴はテレビに接続して遊ぶ、いわゆる「据え置き型」のゲーム機でありながら、液晶モニタを搭載していること。そのまま外に持ち運んで、自宅で遊んだのと同じゲームで遊ぶことができるのだ。近年、「据え置き型」は世界的に販売数が鈍化しているため、まだ好調な「携帯型」の要素を採り入れた全く新しいタイプの製品と言える。

 昨年秋、製品名が発表された時には「家庭用据置型テレビゲーム機の娯楽体験を切り替える」という売り文句がつけられていた。「切り替え」すなわち「スイッチ」ということだ。

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 任天堂は過去にも、たびたび、自社製品が「ゲームの概念を更新する」といった、大きな目標を掲げている。しかも、しばしば「他社メーカーとは、やろうとしていることが違うのだ」という点を強調する。

1月13日、ニンテンドースイッチを紹介する任天堂の君島達己社長 ©共同通信社

素っ気なくて、高踏的で、誇り高い

 たしかに任天堂は、他と違う。時価総額が3兆円を超えつつ9000億円ものネットキャッシュを持つ同社。この数字は日本企業として有数の優良企業であることを意味するが、しかし独特の企業体質があることも示唆するものだろう。実際、潤沢な内部留保ゆえに社外からの経営介入などを阻み、抜本的な事業改革を遅らせる傾向にあると指摘されることもある。

 昨年『ポケモンGO』が社会現象となって、株価がすさまじい勢いで高騰した時にも、さして浮かれることはなかった。このブームが任天堂の業績に与えるインパクトは少ないと、自ら水を差すようなアナウンスを行った。

 こうした素っ気ない、高踏的な態度が、鼻につくという人もいるに違いない。一言で言えば、任天堂は、誇り高い。

 それが本業のゲーム事業での姿勢にも表れているわけだ。たとえば80年代後半、他社のゲーム機がファミコンからの世代交代を目論んだ競争を仕掛けた時。任天堂は、主役は遅れて登場するとばかりに、他社から遅れて1990年に、余裕綽々とスーパーファミコンを発売。圧倒的な強さで市場を席巻した。

1990年11月21日、スーパーファミコンを買い求める人 ©共同通信社

 スーパーファミコンの次に発売したニンテンドウ64でも同じだ。1994年あたりから他社が繰り広げていた“次世代機戦争”に乗り遅れていることについて、当時コワモテの広報担当として業界に名を轟かせていた今西紘史は『新世代ゲームビジネス』(日経BP社、1995年)という本のインタビューで次のように語っている。

「新世代機とか次世代機などという言葉はハードの世界で成り立つもの。我々はハードを売っているのではなく情報を売っている。これからもソフト主導でやっていくだけだ。だからこの業界に次世代機もくそもないし、新世代ゲーム機といわれるものがゲーム業界の先行きを明るくするなどということは全くないと考えている」

「他と違うからこそ価値がある」

 世間が次世代機に沸いている最中に「次世代機もくそもない」というのは、なかなか高飛車だ。自分たちはゲームという娯楽そのもの、先ほど挙げたニンテンドースイッチの売り文句で言えば「娯楽体験」を売っているのだから、他社がゲーム機のシェア競争を繰り広げていようとも、関係ないというわけだ。

山内溥氏 ©共同通信社

 もっとも、その後発売されたニンテンドウ64はゲーム業界の覇権を取ることには失敗した。「任天堂一強」の時代は終わったのだ。だが面白いことに、それでも任天堂は「自分たちは他社とは違うのだ」ということを言い続けた。

 このような任天堂の経営哲学の大半は、カリスマ社長として知られた山内溥の時代に築かれたとされることが多い。山内溥が引退して岩田聡が社長になった時も同じだった。岩田は在任中、たびたび山内の薫陶を受けたことを述懐し、また折に付けウチは他社とは違うのだと語った。たとえば2013年には次のように述べている。

「『他と違うからこそ価値がある』という価値観を娯楽の本質としてこれからも大切にし、同時に山内がしてきたように、任天堂の姿を時代に合わせて柔軟に変え続けていくことで、任天堂全体で山内の魂を引き継いでまいります」(「日本経済新聞」2013年9月19日付)

岩田聡氏 ©共同通信社

 そして岩田が2015年に急逝し、社長が君島達己に代わって発売されるゲーム機となったニンテンドースイッチでも、やはり誇り高き姿勢は受け継がれていることになる。

 しかし、では、そもそも山内溥はどのようにして「他と違うからこそ価値がある」という経営哲学を身につけたのか。あるいは、そのルーツは山内より前に存在するのだろうか。

 次回は、創業から現在までの任天堂史をさらに紐解き、この会社がニンテンドースイッチにたどり着いた足跡をたどる。