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 羽生と一局でも公式戦を指した経験がある棋士は186名(他に奨励会三段が2名)いる。そのうちもっとも先輩が棋士番号17の小堀清一九段であり、もっとも後輩が棋士番号307の藤井聡太七段である(羽生の棋士番号は175)。羽生より後輩で、羽生と一戦も指さずに引退した棋士もいることを考えると、羽生と公式戦を指すことのハードルの高さがお分かりいただけるだろうか。

通算勝利数の歴代1位タイ記録は、谷川浩司九段との対局で達成された ©文藝春秋

一流棋士しか出場できないJT杯で……

 ここで視点を変えて、勝利数歴代5名のうちまだ現役の羽生と谷川を除く、残る3名の最終勝利(あるいはそれに準ずる一局)にスポットを当ててみたい。

 まず、大山の1433勝目は1992年6月14日に行われたJT杯将棋日本シリーズ、対小林健二九段戦である。劣勢の将棋をひっくり返したその粘り腰もすごいが、大山はこの対局の1か月半後(7月26日)に現役のまま亡くなっているのだ。事故などの急死ではなくガンによる病死だったから、対局の時点ですでに体調が著しく悪かったであろうことは想像できる。にもかかわらず、その時の一流棋士しか出場できないJT杯に参加して、勝ったという事実が、大山の偉大さを改めて思わせる。

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最期まで順位戦A級に在籍していた大山康晴十五世名人 ©文藝春秋

 そして、大山の訃報を告げる、『将棋世界』平成4年9月号には谷川も追悼文を寄せていた。そこで取り上げられたのは、大山の1432勝目である1992年3月2日の順位戦A級最終局である。

〈最後は形も作れないほどの完敗だったが、不思議と悔しさはなかった。

 これだけ完璧に負かされたのでは仕方がない。素直に、大山先生に御礼が言いたい気持ちだったのである。

 公式戦の対局数は二十。年齢が三十九歳も離れていることもあり、大山先生にとっては、本気になって負かそうとする相手ではなかったと思う。

 事実、苦しい将棋を大山先生の楽観から逆転勝ちするケースも多かったのだが、本局は違った。

 大山将棋の神髄を、最後の最後に見せて頂いた〉