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「さばきのアーティスト」久保利明は、なぜ痛恨の敗戦の翌日に将棋盤と向き合えたのか

久保利明九段インタビュー『最後の鍵を探して』 #1

2019/06/01

 今から3年以上前の、2016年2月27日。私は東京・千駄ヶ谷にある将棋会館にいた。

 この日はA級順位戦最終局――通称「将棋界の一番長い日」。

 大盤解説会場となる2階の道場には早くから整理券を求める人々が列を成し、開場前にもう満席となるほどだった。その列に、私も並んでいた。

タイトル通算7期獲得、一般棋戦優勝6回を誇る「振り飛車党」の第一人者・久保利明九段 ©文藝春秋

何度も形勢が入れ替わる激戦となった

 人々の注目は二つ。

 一つは、A級初参戦の佐藤天彦が名人挑戦を決めるかどうか。

 そしてもう一つは……誰が降級するか、である。

 2名の降級者のうち、1人は郷田真隆王将(当時)に決まった。タイトル保持者のA級陥落に、解説会場では溜め息が漏れた。

 残る降級は1人。

 順位戦で無類の強さを発揮し、永世名人の資格を有する森内俊之か。それとも関西所属棋士として、そして振り飛車党として唯一A級の地位を守る「さばきのアーティスト」久保利明か。

 戦いは、何度も形勢が入れ替わる激戦となった。

「鉄板流」とも称される森内の緻密にして強靱な受けを前に、久保も「さばきのアーティスト」の裏の顔である「粘りのアーティスト」へと変貌。日付が変わってもまだ戦いは終わらない。

将棋会館で行われた大盤解説会。午前1時を過ぎているが、熱戦の行方を見守るファンが席を立つことはなかった ©白鳥士郎

8六銀という、詰めろ逃れの詰めろがある……!

 時刻は午前1時を過ぎている。終電はとっくに詰んだ。

 しかし解説会場から人が消えることはない。

 それどころか次から次へと立ち見客が増える。誰もが結末を見届けようと、一言も漏らさずに大盤を注視している。

 久保か、それとも森内か。

 解説会場では、久保に勝機があるとされていた。8六銀という、詰めろ逃れの詰めろがある……!

 久保の終盤力は、A級棋士の中でも図抜けていると言っていい。あの羽生善治の寄せに対して、3連続限定合駒を読み切って勝利した「トリプルルッツ」は伝説だ。

 そして久保は銀を掴む。勝利への、唯一の鍵を。

 しかしその銀を打ち付けた場所は……1マス隣だった。まさかの9六銀。

 その瞬間、A級で順位3位だった久保の陥落が決まった。

 1年間かけて高い高い山をよじ登り、頂上に手をかけたにも関わらず……指をひっかける場所が1センチずれていただけで、一番下まで真っ逆さまに滑落したのだ。

 終局直後、久保は感想戦で真っ先に、銀を8六に動かした……。

ただそこにいるだけで精根尽き果てる

 大盤解説会が終わった後、私は呆然としながら代々木の居酒屋まで歩いたのを憶えている。翌日は、何をする気も起きなかった。「一番長い日」の将棋会館は、それほど特殊な空間だった……ただそこにいるだけで精根尽き果てるほどに。

 しかし私はその後、衝撃の事実を知る。

 何と久保は、敗戦の翌日から将棋の研究を再開していたというのだ。

 いや、終局は日付を跨いでいたのだから、その日のうちにもう、将棋盤に向かって新たな闘いの準備を始めていたのだ。

 観戦していただけの私ですら疲れ果てていたというのに……あれほどの激闘の後で、あれほど苦しい敗戦の後で、なぜ久保はすぐにまた歩き始めることができたのか?

 今回のインタビューでは、まずそのことを尋ねた。

「そうですね……今でも憶えていますけど、次の日に。対局直後は『あんまり将棋のこととか、考えたくないのかな?』と思ったんですけど……気がついたら盤の前にいて、研究していました。

 我ながら『すごいな』と思いましたけど(笑)」