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大阪桐蔭“冬の時代”を知るエース・岩田稔に西谷監督がかけた言葉

文春野球コラム ペナントレース2019【対戦テーマ:高校野球】

2019/06/17

 まもなく101回目の夏。

 昨年の高校野球は大阪桐蔭一色でした。史上初、2度目の春夏連覇を達成し、根尾昂(中日)、藤原恭大(ロッテ)、横川凱(巨人)、柿木蓮(日本ハム)の4人がプロ入り。“史上最強”世代と言われました。

 今や高校野球界の雄となっている大阪桐蔭ですが、この大阪桐蔭にいながら3年間一度も甲子園の土を踏むことのなかった世代があります。

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 2番に西岡剛(栃木ゴールデンブレーブス)、4番には中村剛也(西武)が座る最強打線で西谷浩一監督も根尾選手らに“最強世代”だったと伝えていました。このチームのエースだったのが岩田稔投手です。

大阪桐蔭“最強世代”のエースだった岩田稔 ©文藝春秋

西谷監督がマウンドで放った忘れられない言葉

「今では考えられないかもしれないけど、当時はPL学園という王者がいて甲子園に出るのはかなり難しかったです。それを目標にやっているチームでした」

 監督に就任したばかりの西谷監督も当時は20代。PL学園の背中を追いかけて、日々の練習時間は長く、「鬼の練習! とにかくしんどい3年間でしたね」と振り返ります。入学当初80キロあった体重が一気に65キロまで落ちるほどハードな練習でした。(「剛也は全く痩せへんかったけど!」と岩田投手(笑))特に忘れられないのが2年生の夏。甲子園をかけた大阪大会を前に、先輩たちにとっての最後の練習試合での出来事です。自分なりに必死に投げていたという岩田投手のもとへ西谷監督が向かってきます。マウンドで放たれた言葉は「命かけてやってんのか?」。その後プロ野球という真剣勝負の世界で闘う岩田投手にとってこの言葉はとても大切なものになり、今も試合中に思い出すことがあるそうです。

 秋にはエースになり、チームを近畿大会ベスト8に導いた岩田投手。エースとしての自覚も芽生え始め、俺が引っ張っていこうと思っていた矢先の冬。今も闘っている糖尿病を患いました。「血糖値が800以上とか? 一回死にかけたから……」。辛い闘病生活を支えてくれたのは担任でもあった西谷監督です。毎日練習が終わるとグラブやボール、ダンベル、チューブなどを手にユニフォームのまま駆け付けてくれました。「戻った時にすぐに入れるようにちゃんとやっとけよという意味だったんだと思います」。指揮官から期待交じりの優しい心遣いでした。

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