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「この歳まで1軍で投げられているのは大阪桐蔭のおかげ」

 入院生活を終えて復帰するも次は腰や肘の怪我に泣かされ、3年生の夏はほぼ投げることなくチームは敗退。「甲子園に行けなかったのは完全に僕のせいですね」と苦笑いする岩田投手ですが、この苦い思い出がとても悔しかったからこそ、もっと野球をやりたいと上を目指す気持ちになったそうです。

 帰りのバスの中、西谷監督はそっとエースに声を掛けました。「大変やったな、3年間」。いつも淡々としていて、感情を表に出すことのない岩田投手の涙腺は崩壊。声をあげて「ギャン泣きした!」といいます。「それだけ濃かった3年間なんでしょうね」と振り返る表情はどこか嬉しそうでした。実はこの日のミーティングでは強い選手がいながら勝てなかったのは自分の責任だと西谷監督自身も涙を見せたそうです。いまや名将と言われる西谷監督もここからがスタートだったのかもしれません。

「大変やったな、3年間」という西谷監督の言葉に涙腺が崩壊したという岩田稔 ©文藝春秋

 プロ入り14年目、今年36歳を迎えます。「この歳まで1軍で投げられているのはあきらめない気持ちを教えてくれた大阪桐蔭のおかげ」というように、“プロ野球選手・岩田稔”のベースは大阪桐蔭なのです。病と闘いながらプロのマウンドに立ち続ける岩田投手の姿は、糖尿病を患う人たちだけでなく、大阪桐蔭の同級生にも刺激、勇気を与えています。ある同級生は「いろいろあった高校生活をバネに大学で頑張ってプロになった努力は計り知れないし心から尊敬。1年でも1日でも長く、元気に野球を続けてほしいです」。稔が頑張っているから自分も仕事を頑張れるとパワーを貰っているそうです。病気などで人より苦しい3年間を知っている高校時代からの“家族”はエールを送り続けています。

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 4月18日。2年ぶりに白星を挙げた岩田投手のもとに「おめでとう」と西谷監督からメールが届きました。「やっぱり西谷先生に見てほしいよね」。厳しくも愛情たっぷりに育ててもらった3年間。甲子園出場を果たせなくても、それ以上に大切なものを岩田投手は得たんだと思います。おととい(6月15日)は勝ち投手の権利をもって降板しましたが、チームはサヨナラ負け。勝ち星はつきませんでした。追いつかれた瞬間も表情は一切変わることなく、飄々と見えました。石の上での3年間が動じない岩田稔を生んだのではないでしょうか。岩田投手は大阪桐蔭での経験があったからこそこういいます。「今は何があっても大丈夫」。

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