「ゲーム理論」を創始した数学者のジョン・フォン・ノイマンがいまから60年前、1957年のきょう2月8日に亡くなった。1903年12月28日生まれの53歳。ハンガリー(当時はオーストリア・ハンガリー帝国)に生まれた彼は1930年にアメリカに移住し、第二次世界大戦中から戦後にかけてはコンピュータ開発にも携わった。
現在のほとんどのコンピュータは、記憶装置に内蔵したプログラムに従って順次演算を行なうしくみになっているが、この方式はノイマンが考案したものであることから「ノイマン型コンピュータ」とも呼ばれる。自身の考えたコンピュータが完成したとき、「これでおれの次に計算の速いやつができた」と言ったという。
それほどまでに頭の回転が速かったノイマンだが、1955年にがんが見つかり闘病生活に入ると、脳の機能も日に日に衰えていった。この間に発表した論文にはノイマンらしい切れ味がほとんど失われていたという。その衰えに、口さがないアメリカのある大物科学者でさえ「彼の頭の回転についていける人間は誰もいなかった。なんとかついていけるようになったのは、やっとあの最後の年だった」と嘆いた(ノーマン・マクレイ『フォン・ノイマンの生涯』朝日選書)。
ノイマンは原水爆の開発にも深く関与している。そのため、彼が治療が原因で眠りながらうわごとを言うようになると、病室に兵士が不寝番につき、軍の機密を口走らないかどうか監視した。米国会図書館には、ノイマンの病床での一夜を記録したメモが残る(ウィリアム・パウンドストーン『囚人のジレンマ フォン・ノイマンとゲームの理論』松浦俊輔ほか訳、青土社)。