いまから380年前のきょう、1637年2月3日、オランダでそれまで高騰を続けていたチューリップ相場が暴落した。いわゆるチューリップ・バブルの崩壊である。

 オランダでのチューリップ栽培は16世紀末に始まって以来、変種づくりが大流行し、珍奇な品種やまだ花も咲かない新品種が先物取引で投機対象とされた。その動きは1634年以降、ますます過熱する。ピーク時には球根一つと12エーカー(約4.9ヘクタール)の土地とが交換されたり、同じ球根が植えつけられて掘り上げるまでに5~10倍もの値段になったりした。しかし最高級品種の相場が値上がりしているうちはまだしも、転売だけを目的に取引される量り売り品の市場が活気づくにいたり、疑問を抱いた人々が手持ちの球根を売りに出し始める。これがバブル崩壊へとつながった。

アムステルダムのチューリップがある風景 ©iStock.com

 チューリップ・バブルの崩壊後、球根の値段は暴落前の5%、場合によっては1%以下にまで落ちこんだ。世界大恐慌をもたらした1929年のニューヨーク株式市場の大暴落において株価が底値に達したときですら、暴落前の20%以下にはなっていない。このときの暴落がいかに大規模なものであったかがうかがえる。

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 とはいえ、このバブルの崩壊が株取引やオランダ全土の経済に多大な影響を与えたと見るのはどうも誤りらしい。というのも、チューリップを取引していたのは専門の金融関係者ではなく、主にそれまで株など所有したこともなかった地方の人々や貧しい都会人だったからだ(マイク・ダッシュ『チューリップ・バブル 人間を狂わせた花の物語』明石三世訳、文春文庫)。彼らの多くは、疫病の流行による労働力不足から賃金が高騰した結果、生まれて初めてある程度の大金を手にした人たちであったという(アンナ・パヴォード『チューリップ ヨーロッパを狂わせた花の歴史』白幡節子訳、大修館書店)。