イラストレーターの渡辺和博が56歳で亡くなったのはちょうど10年前のきょう2月6日だった。1950年2月26日に広島県に生まれた渡辺は上京して、写真専門学校を中退後、現代思潮社が開いた「美学校」で美術家の赤瀬川原平に師事。赤瀬川から先輩の南伸坊を介してマンガを描いてみてはと勧められ、マンガやイラストを手がけるようになる。78年~80年にはマンガ専門誌『ガロ』の編集長も務め、みうらじゅんをデビューさせている。
最大のヒット作は84年刊行の『金魂巻(きんこんかん)』(渡辺和博とタラコプロダクション名義、主婦の友社)で、コピーライターなど当時の人気職業を金持ちの「マル金」と貧乏人の「マルビ」に分けて図解してみせた。同書で発揮された鋭い観察眼は生来のもので、2003年の肝臓がん宣告以降の闘病生活をつづった『キン・コン・ガン! ガンの告知を受けてぼくは初期化された』(二玄社/文春文庫PLUS)でも、入院中に出会った医師や看護師、同室の患者、さらに自分の手術についても事細かに描写して話題を呼ぶ。
05年には夫人との生体肝移植に成功するも、翌年7月にがんが再発、7カ月後に死去する。その葬儀で弔辞を詠んだ赤瀬川原平は、移植手術後に会った渡辺が「自分の体の中にはフェラーリ1台が入っている」と言っていたことを紹介、「それは金額のたとえでもあるのでしょうが、事の重大さ、特にご家族のご苦労のことをいっていたのだと思います」と述べた(渡辺和博『お父さんのネジ』青林工藝舎)。「フェラーリ1台」のたとえは、バイクマニアで、長年クルマ雑誌で連載していた渡辺らしい表現だったともいえる。