この春、私は4年務めたtvkから巣立つことになりました。tvkではベイスターズ戦のベンチリポーターを担当して、多くの選手を取材したことは、今後の私の人生にとっても、大きな財産になったと感謝しています。そして独立してからの大きな仕事として、7月13日~25日に放送される「都市対抗野球ダイジェスト」を担当することになりました。プロ野球の取材は数多くしてきましたが、社会人野球は初めての経験。ですが、各地で行われた都市対抗野球予選の取材を重ねていくうちに、その魅力に惹きつけられていきました。そんな中で、私がどうしても気になってしまう地区予選があったのです。
6月8日、小雨が降るZOZOマリンスタジアム。都市対抗野球南関東大会。第1代表を決めるJFE東日本とHondaの一戦。鉛色の梅雨空とは裏腹にスタンドは高揚感に満ちていました。試合前のJFE側スタンド。観客たちが、その人の名を異口同音に発しているのを耳にしました。
「今日も須田に回せば大丈夫」
戦力外通告を受け 覚悟と信念を背負った選択
JFE東日本須田幸太投手。2011年横浜ベイスターズに入団。2016年は62試合に登板しCS進出の立役者となった忘れられぬ投手。ファンの脳裏には彼の残像が今もまだ色濃く残っています。幾度もピンチの場面で登板し糸を引くようなストレートで強打者に立ち向かっては、ものの見事に火消しをしてしまう。登場曲である嵐の「GUTS!」のイントロが流れると今日は大丈夫という安堵感まで与えてくれたことを覚えています。
2016年9月24日。雨の中の巨人戦、肉離れで戦線を離脱。CSでの登板は絶望的かと思われた中、必死のリハビリとスーパー銭湯での交代浴の効果もあり驚異的な早さでチームに戻ってきました。ピッチャー須田の名がコールされ、マツダスタジアムのマウンドに上がった時の彼に送られた大歓声がその功績を物語っていました。
この広島でのCSは、tvkで1試合だけ放送されていました。テレビ局において他局の中継映像をもらい自社で放送するのは、手間が掛かりあまり好まれません。放送枠や機材に予算、そして人繰りなど地方局にとっては大変なことが多く、連日夜遅くまで対応に追われていた社員もいました。広島の各局に交渉を重ねどうにか1試合を放送することができたのは、tvkがベイスターズの血の滲む努力に感化されたからとも言えました。
私がtvkでベンチリポーターをしていた頃、須田投手は忙しい合間を縫って何度も取材に応じてくれました。プロの世界では手の内を明かさない選手もいる中、細かいトレーニング方法からブルペンでの球数まで包み隠さず、理路整然と迷いなく応えてくれる。常に自分の考えが整理されているため、受け答えが誰よりも早い。それでいて目が合うと笑顔で会釈してくれる温かい人柄の選手でした。
だからこそ昨年の秋に耳にした、戦力外通告というワードは苦しかったです。
「あの須田さんが……」
その後も、私のパソコンにまとめた選手のメモ。「須田幸太投手」の欄を削除することはできない日々が続きました。
ベイスターズを退団した須田投手のとった選択は古巣JFE東日本への復帰。
「ただ今は純粋にチームを勝たせたい。この一心です」
覚悟と信念を背負った彼らしい選択でした。
「精神的支柱」となった須田幸太
都市対抗野球でよく言われるのが、7月に東京ドームで行われる本選はお祭りのような位置づけで、予選突破がとにかく大事だということ。本選出場が決まった段階でビールかけをするチームもあるほど。JFE物流の総務部に所属する須田投手も「社員さんを東京ドームに連れて行かなきゃ」と再び自分を受け入れたチームのためにと、並々ならぬプレッシャーと戦っている様子が伺えました。
迎えた南関東大会2次予選。チーム最年長の須田投手は初戦から登板し、2戦連続7回から3イニングを投げ試合を締める大車輪の活躍を見せます。「不安な背中を見せてはいけない」と普段の立ち振る舞いにも気を遣い、野手には投手からの見え方をアドバイスするなど言葉でもチームを牽引。JFE東日本の鳥巣誉議キャプテンも「須田さんは精神的支柱」と絶大な信頼を寄せていました。
6月8日。南関東大会第1代表決定戦の相手はHonda。初回の3得点も絡み、JFE東日本が3点リードの場面で迎えた6回。満を持して登板した須田投手にこの日一番の大歓声が送られます。
「須田頼むぞー!」
私たちがいつも見てきた背番号20を前にして思わず目頭が熱くなります。
切れ味鋭い直球は健在でした。打者を前にしたときの落ち着きと風格にはやはり目を見張るものがあります。一発勝負のトーナメントは何が起きても不思議ではありません。祈るように一球一球を見つめていましたが、須田投手の鬼気迫る投球に、やがて私が抱いている緊張感をも失礼だと感じるようになっていました。
序盤は持ち前のストレートを中心に組み立てバッターを見事に翻弄。6回を三者凡退で抑えると、8回はこの日2ホーマーと絶好調のHonda3番佐藤竜彦選手を140キロのストレートで空振り三振。
「いいぞー須田!」
スタンドの空気が彼の色に塗り替えられていきます。
迎えた最後のバッター。すべての視線がマウンドに注がれます。渾身のストレートで内野ゴロに仕留めると、須田投手の天に突き上げた右手に仲間たちが集います。この試合13安打と野手陣の活躍もあり、JFE東日本が3年ぶり23回目の都市対抗野球本選への出場を決めました。須田投手の目には、光るものがありました。私が取材をした4年間で彼の涙を見たのは、初めてでした。
2次予選3試合すべてに登板し1点も与えなかった圧巻のピッチングに、敵味方関係なくスタンド全体が称賛を送っていました。
「須田、ありがとう!」
3度宙に舞った須田投手は満面の笑みを浮かべ、両手はピースサインを作っていました。