「絵画とは」の思い込みにまったく縛られない
作品のかたちも、通常とは大きく異なる。ふつう絵画作品は、木枠に布を張って画面がつくられるけれど、小林作品はそこからはみ出している。木枠が歪んで剥き出しになっていたり、継ぎはぎされていたりするのだ。
女性の絵のほうは、画面となるべき布が床に垂れ下がっていて、その端には、制作の際に使っていたのだろう汚れた布切れが、無造作に丸めて置かれている。絵画とは四角い画面に絵筆で色を塗っていくもの、そんな思い込みにまったく縛られない作品群がここにはある。
絵画の理想形が描かれた絵か?
馬が描かれたほうの大画面に目を凝らすと、背の上にごく薄っすらと人物らしきもののシルエットが見える。もう一枚のほうの絵に見られる女性像が、馬に跨がるかたちでいちど描かれて、のちに上塗りされ消されているような……。
これはなにを意味しているのだろう。展名が「画家とモデル」なのだから、馬が画家で女性はモデルだと推測していいか。ならば、「馬=画家」の上に「女性=モデル」が乗っかり人馬一体となった状態とは、描くものと描かれるものが一体化した、絵画の幸福な完成形を表している?
今展で観られる馬の絵は、絵画のなりたちそのものを表さんとして描かれたものと捉えていいんじゃないか。絵画のなりたちを一枚の絵に込めようとして、画家は馬と女性をいかに描くかを考え抜き、創作を進めていったのだ、きっと。画家はなぜこの絵を描いたのか。そして、人はなんで絵を描くのか。一枚の絵から動機を推し量るのは愉しいものだ。
こちらの推測が合っているかどうか、ご本人には確認しそびれた。けれど対面したとき、しかとこちらを見据えて話す画家の両眼は、描かれた馬とそっくりの色彩豊かな輝きを放っていたのはたしかである。
写真=武藤滋生
小林正人
「画家とモデル」展示風景, 2019, ShugoArts
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