「たしかに、10代のころからやっている音楽が自分の表現の基本形なのはまちがいない。同時にアートも、誰に言われずともずっと続けてきたもので、大事な表現方法のひとつ。このふたつは、自分のなかで無理なく同居しているんですよね。
ただし直接的な影響関係があるわけじゃなくて、音からアートを想像したり、アートから音が生まれるといったことはほとんどないかな。音楽は自分にとって生業だから、だれかに聴いてもらい楽しんでもらいたいというのが、つくる前提としていつもある。
音楽をつくるときには、『愛』が中心テーマにないと成立しないんですよね。不思議なんだけど、音楽というのはそういう性質を持っているものなのかな。聴いている側も、愛の要素がない歌なんてイヤじゃないですか? ムンクの《叫び》みたいに不安な感情だけでできている歌があっても、きっと聴かないでしょう?
その点アートは、自分にとってもうすこし自由な存在というか、内側から湧き出てくるものをそのままかたちにしている。だから愛だけじゃなくて、いろんな感情がそこに渦巻く。でも、あまりエグい絵は描きませんけどね。そういうのは好みじゃないので」
いまのポップスは「腰から下が抜け落ちている」
画家としての藤井フミヤが描く絵には、裸婦像が多く、艶っぽい表現が随所に見られる。思えばミュージシャン藤井フミヤも楽曲、歌詞、歌い方、すべてにおける色っぽさが一大特長である。「色気」が表現したいことの中心にあるのだろうか?
「それはあるかもしれませんね。音楽でいえばそこはずっと表現したいものとしてあるんだけど、いまのポップスって腰から下が抜け落ちている感じがする。男女の恋愛が描いてあっても、なんか明るくて健全過ぎるというか。前はそれこそ山口百恵さんが10代で『あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ』なんて歌っていたわけで(『ひと夏の経験』)。自分は変わらぬスタンスで歌っているから、時代との兼ね合いでよけいにちょっと目立ってしまうのかもしれない。
恋愛感情やそこから滲み出る色気は、本当はいつの時代でも表現の核にあるものなんじゃないのかな。そう、だから『週刊文春』さんをはじめとするメディアも、恋愛沙汰を盛んに取り上げるのはいいにしても、恋愛が抑制されるような方向にはあまりしないでもらいたいな(笑)。
恋愛から生じる感情、色気、それに愛そのもの。そういうことを表現する歓びを、僕は10代のころステージの上で初めて人に向けて歌ったとき、早くも知ってしまったんですよ。その快楽を求めていまも音楽を続けているし、ジャンルを拡張してアートをつくったりしながら、さらに味わい尽くそうとしているんだね。これからもいろんなかたちをとりながら、表現することが続いていくんだと思う。どの角度からでもいい、それに触れて共鳴してくれる人がいたらそれだけでうれしいですよ」