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鍵谷陽平への感謝の言葉 クレインズ存続のためにやってくれたこと

文春野球コラム ペナントレース2019

 6月26日の夜、僕は初めてツイッターの「長文連投」というのをやっていた。えのきど公式ツイッターの「中の人」ヨシオカが急逝し、しかたなく見様見真似でツイッターを始めてまだ1ヶ月たってない。僕はiPhoneで入力すると手が遅いから、オンタイムで見てくれてる方を待たせてしまう。焦るからタイプミス、誤変換が多い。我ながら遅くてイライラした。だけど、自分が止められなかった。

 鍵谷陽平のことを書かなければいけない。鍵谷陽平のことをみんなに知ってもらいたい。僕がどんなに彼に感謝し、恩義を感じているか伝えたい。その一心だった。
 
 その夜のうちに書かなきゃいけない気がしたのだ。巨人との間で「鍵谷陽平、藤岡貴裕⇔吉川光夫、宇佐見真吾」の2対2トレードが発表になった当日である。今、書かなかったら後悔する。本当はツイッターで完結させるつもりだった。文春野球コラムには合わない気がした。これは野球だけの話じゃないのだ。

 あらためて文春野球に書くことにしたのは「ちゃんと読みたいです。ツイッターは拡散するにはいいけど、後ろに流れて消えてってしまうから書き残してください」と(文春ファイターズの金子誠役?)青空百景にきつく言われたからだ。本稿執筆現在、鍵谷陽平は巨人の選手であり、移籍入団の会見で「右腕を捧げる思いでがんばります」と張り切っているから、いつまでも未練たらしく書くのはどうかなぁとも思う。だが、それなら巨人ファンにも知ってもらいたい。

 長い話になるけれど、どうかおつき合いください。

巨人にトレードで移籍した鍵谷陽平 ©文藝春秋

廃部が決定した日本製紙クレインズを救うために

 鍵谷陽平は北海道亀田郡七飯町の出身だ。北海高校→中央大。2012年のドラフト3位。道産子の即戦力右腕だった。たぶんファイターズファンは彼が登場したときの「ラベンダー色のグローブ」を忘れられないだろう。北海道出身だから富良野のラベンダー畑をイメージして紫色のグローブにした。そして北海高校の校章、星のマークを入れた。嬉しかった。ついに出たか、道産子のライジングスター。投げっぷりが最高だった。ケレン味のない速球勝負。

 その鍵谷がファイターズ投手陣のまとめ役だったことはよく知られている。人望があった。どこで聞いても鍵谷のことを悪く言う人に会ったことがない。彼の人間性の一端は、たとえば去年の北海道胆振東部地震の際、発したコメントでうかがい知ることができる。被災し、余震の不安に耐えるファンに向けて本当に心のこもったメッセージを発信した。

 僕は鍵谷陽平に直接会ったことがない。だが、今年の春先、すごく大きな関わりを持つことになった。読者のなかで知らない方も多いと思うのだが、僕はライターの傍ら、日光アイスバックスというアイスホッケーチームのスタッフをやっている。ちょっと前までは取締役だった。といっても貧乏チームだから無給の取締役である。今もギャラ返上で氷上インタビュアーや原稿書きをしている。

 アイスホッケー界に辛口サッカー評論家、セルジオ越後氏を引っ張り込んだのも僕だ。セルジオさんは今、日光アイスバックスの代表取締役におさまっている。アイスホッケーの世界は狭くて、いつの間にか各チームの関係者、選手、ファンも含めて知り合いばかりになった。みんな仲間だ。みんな身内だ。で、去年の暮れ、大事件が巻き起こったんだ。日本製紙クレインズの廃部決定。僕は何とかして釧路の仲間たちを助けたかった。

昨年暮れ、アイスホッケー界を大ショックが襲った。 ©えのきどいちろう

 それは20年前、古河電工アイスホッケー部の廃部で自分たちが味わったことだった。あのときのことは忘れられない。クラブチーム、日光アイスバックスはその絶望の淵から誕生した。他人事じゃないんだ。

「氷都くしろにクレインズ存続を願う会」の寺山博道代表とは、ホントにいっつもLINEでやりとりをしていた。寺山さんはファン、サポーターの旗振り役だ。これまではチームを盛り立てる動きをすればよかったが、今回は勝手が違う。色んなことを訊かれた。答えられる範囲で僕も答えた。で、寺さんが10万人署名って言い出すんだよ。「日本製紙クレインズ」が活動を終えるまで3ヶ月ほどの間に、存続署名を10万筆集める。狭い釧路の出来事、狭い製紙会社の出来事でなく、公(おおやけ)の話、みんなの話にしたい。