篠塚選手が好きでした。友達は原選手が好きでした。クラスに野球選手が好きな女子は他にいなかったので、その子と二人になった時だけ思う存分に巨人の話をしました。6と8は特別な数字でした。
野球が好きになって、中学では野球部の顧問の先生に頼んで、放課後にスコアの付け方を教えてもらいました。家には、母が大ファンだった王選手のサインボール(もちろんレプリカ)が3本のミニミニバットに支えられて宝物のように飾られていました。巨人が好きでした。だから、今でもちょっとそわそわしちゃうのです。ジャイアンツが札幌にやって来る、となると。
ファイターズが北海道に来るまで
北海道日本ハムファイターズが誕生するまで、私の育った北海道ではテレビでもラジオでも中継されるのはほとんどが巨人戦でした。今のようにたくさんのチャンネルから試合を選べる時代でも、アプリでどこのラジオ局でも聴ける時代でもありません。そうなると、こうなります。
巨人ファン か アンチ巨人。
私は単純な子供でしたので、親の姿を見て巨人ファンに。巨人の野球帽を被って、男の子が持ってると自慢するユニフォームのデザインの野球パジャマは憧れでした。
札幌の円山球場に巨人が来るのはまるでお祭りでした。あの頃は「今日、巨人のチケット取るんで!」と会社を休んでも「あ、そう」で済んだと聞いたことがあります。
自分が大人になると、家のサインボールの王貞治さんがホークスの監督になりました。なので、パ・リーグにも興味を持つようになりました。そしてそのくらいからチームをそれぞれのカタカナの方で呼ぶようになりました。「城島選手を見たい」、それだけで福岡にも行きました。「王監督が見られる」、ファイターズの移転が決まった時に最初にこう思ったことは否めません。
でもそれ以上に、地元に野球チームが出来るということは、自分の想像を遥かに超える衝撃がありました。こんなに深く生活に入り込んでくるなんて、チームがこんなに近い存在になるなんて。
私の中で5月20日は王さんのお誕生日でしたが、あっという間に、王さんと賢介選手のお誕生日になりました。選手名鑑のファイターズの部分は読み過ぎてぶよぶよになりました。仕事終わりで試合を見に行くことが出来る。すぐ目の前で野球を見ながらビールが飲める。終わる時間が早ければ、地下鉄ですすきのに移動して2次会をしたって次の日はちゃんと仕事が出来る。相手さえいれば試合観戦デートが出来る。……という大人だからこその誘惑も含めて、私はいとも簡単にファイターズファンになりました。いまでは仕事でもあります。