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“タイミング”も才能のひとつ ファイターズ復帰の吉川光夫投手に期待したいこと

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/07/10

 あの日、私は吉川光夫投手と初めて握手をしました。

 2016年、ファイターズが日本一になった年の11月のファンフェス、札幌ドーム。直前に発表になったトレードで、吉川投手はジャイアンツに移籍が決まり、裏でマスコミを含めた関係者に挨拶をしていました。ルーキーイヤーから何度もインタビューやトークショーをしたけれど、握手をしたことは、思い返せば一度もありませんでした。

「こういうことになりました、今までありがとうございました」

 ついこの前まで参加することが当然だったファンフェス、華やかな大音量のイベントの裏で吉川投手の表情は少し硬く見えました。私はただただ寂しくて、だから、握手の感触はまったく覚えていないのです。

7月4日、復帰後初登板を果たした吉川光夫

心配な顔を時々見せていた吉川投手

 元々、時々心配な表情をする選手でした。インタビューも口数はそれほど多くなく、質問によっては考えこんでしまって、結局答えが出ないこともありました。

 2007年、広島広陵高校からドラフト1位で入団。「まーくん世代、ハンカチ世代」と呼ばれた中の一人です。1年目に4勝、2年目は2勝、3年目~5年目は勝ち星なし。この成績では表情は明るくなくて当然だったかもしれません。

 それが2012年に変わります。栗山監督1年目のあの年、ダルビッシュ投手が抜けた穴を見事に埋めたのが吉川投手でした。

「今シーズン、ダメだったら俺がユニフォームを脱がす」

 それまで、解説者だった栗山英樹さんは吉川投手のポテンシャルをよくご存知でした。当時、栗山さん以外にも「吉川はきっかけがあれば大化けする」と仰る解説者は他にもいました。絶妙な時期の栗山監督就任。プロ野球選手は「タイミング」も才能のひとつと言われます。なるほど、こういうことなのか、とその年の活躍を見て納得したのを覚えています。14勝5敗、防御率1.71の活躍。MVPを24歳で獲得するのは左腕ではリーグ最年少でした。

 あの年の吉川投手はよく笑いました。マウンドでガッツポーズもありました。インタビューでもよく話してくれるようになりました。普段はスタジオにいる私がたまに球場に行くと、「あ、珍しい人がいる」と声をかけてくれることもありました。それが気が付いたら、ゆっくりと時計の針を戻すように、心配な顔をまたたびたび見るようになっていくのです。

 一軍と二軍を行き来するようになり、2016年は終盤は抑えを任されることもありながらも、CSも日本シリーズも投げることはなく、11月になってすぐに発表されたトレード。その後、ジャイアンツで苦しんでる様子が時々伝わってくると、最後に会った時のあの硬い表情を思い出していました。