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学生時代から雅子さまを動かした「日本の伝統を伝える使命感」

 茶道や日本料理も学んだ。もちろん、「花嫁修業」ではない。雅子さんの茶道の先生・平野宗欣さん(故人)は後に新聞でこう語っている。

〈外交官として仕事をするのに、日本の文化をお知りになりたいと通って来ていました。しっかりなさった方で覚えが速かった。イギリスに留学する前にはお休みするあいさつに見え、ムクゲ『宗旦』の鉢植えをお持ちになりました。お茶にちなんだ花木を選ばれた心配り、大変ありがたく受け取りました。その木も今では背丈ほどに大きくなり、夏に白く芯(しん)の赤い花を咲かせます。雅子さんなら、お茶の精神を忘れずにやっていかれるでしょう〉(読売新聞93年1月19日付夕刊)

田園調布雙葉時代の同級生・田治ゆり子さんの結婚式に出席 ©文藝春秋

 東京・銀座の日本料理店「晴美」に通ったのも、日本文化を学ぶためだった。当時、雅子さんを指導した、現在は中野の割烹「寿花」の店主・山田寿男さんはこう語る。

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「外務省に入られると、海外に行く機会もあるため日本料理を学んだ方がいいという事で、内輪の料理サークル『イカロス会』に来られました。86年の暮れに初めてお会いしたときは、常識があって、若くて綺麗な方だなあと思いました。会は男性と女性が半々くらいで、1回に8人ぐらいまで。2カ月に1回、日曜日に3時間くらい季節の料理を作りました。最初は我流だった包丁の持ち方からお教えしました。具材の切り方から出汁の取り方、魚のおろし方までをプロに教えるのと同じ指導で、料理は焼き物、煮物、鍋物など計21品。雅子さまはとても熱心にメモを取って学ばれていました。物覚えがよくセンスも良かったですね」

日本料理の会で 宮内庁提供

 雅子さんは学生時代から日本文化を学び、伝えることに積極的だった。その熱心さに、友人に語っていた言葉、「幸いにも教育を受けることができた者は、海外に日本の伝統を伝える使命のようなものがある」を思い出す。成長期を多く海外で過ごした雅子さんを動かしていたのは、そんな使命感だった。だからこそ外交官となる道を選び、その準備のために日本文化を学び、親善パーティなどにも積極的に参加した。それは純粋な気持ちだったにちがいない。

友人の土川純代さんの別荘を訪ね、料理の腕をふるう ©文藝春秋

 だが周囲には、雅子さんの役割は外交官よりもお妃という立場にふさわしい――と考える人々がいたのだった。

皇后雅子さま物語 (文春文庫 と 22-2)

友納 尚子

文藝春秋

2019年7月10日 発売