令和の皇后となられ、ご成婚時の輝くような笑顔を、取り戻されつつある雅子さま。
今回は雅子さまが「ご懐妊問題」に追われ、不安な時期を過ごされていた1998年を振り返る。お二人の希望の象徴となった“一枚の写真”とは――。
新皇后の半生を徹底取材した決定版『皇后雅子さま物語』(文春文庫)から、新皇后の「あゆみ」を特別公開します。
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「ご懐妊」に向けて支え合われた日々
夏のご公務は、7月15日に「第34回献血運動推進全国大会」にご臨席のため福島県を訪問され、翌日は福島県立医大看護学部にお立ち寄りになった。これが思わぬ憶測を呼んだ。
「4月に設立されたばかりの看護学部をなぜ訪問されたのかが話題になったのです。福島県立医大には日本初の体外受精を行った教授の愛弟子の佐藤章教授がいた。2年前ぐらいからご夫妻には不妊治療のプロジェクトチームがあるのではないかと囁かれており、その後、彼が関わっているのではないかと噂になったんです」(宮内記者)
さらに、福島県立医大と那須御用邸は車で高速道路を使えば約1時間、那須御用邸で治療を受けられているのではないかという説もあった。
いずれも事実ではなかったが、問題はこの予定を急遽入れた東宮職にあった。前にも記したように、宮内庁幹部はご成婚5年までは両殿下の自然に任せるお気持ちを尊重したが、6年目からはご懐妊に向けて積極的に介入しようとしていたのだった。そのきっかけとして、福島県立医大で佐藤教授をはじめとした医師から不妊治療について話題が出れば、という考えがあったというのだ。
この夏、和歌山県和歌山市で夏祭りに集まった人たちが毒物により死亡した「和歌山毒入りカレー事件」が発生、日本中を震撼させた。マスコミの関心はこの事件にシフトし、皇太子ご夫妻を追っていた人員は削減された。
8月に入り、ご懐妊に向けて宮内庁医師団が具体的な検査などを含めた治療について、両殿下に納得のいく説明をしたものと思われる。自然な形を待っていたご夫妻も残された時間を痛感されていた。主治医の坂元正一氏(東大名誉教授・御用掛、故人)をはじめ、宮内庁病院の非常勤医師だった堤治(つつみおさむ)東大教授(現・山王病院病院長)が担当した。皇太子はご決断されて、この秋から治療に入ることになったといわれている。