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中3の頃には「文筆家になる」と書いていた

――1992年にデビューして17年。遡って、中3の時に進路アンケートにはもう「文筆家になる」と書いていた。小さい頃から書くことが好きだったのですか。

大島 中3で「文筆家になる」と書いたあたりでもう、私は文章を書くことで生きていきたいというか、生きていこうというか、生きていくしかなさそうだとぼんやりと思っていました。高校では断片的なものしか書いていなかったんですけれど、それを知っていた友達が小劇場の役者になって、「何か書けるか」というから「書けるよ」と言って芝居を書くことになり、23歳くらいの頃に劇団を旗揚げしたんです。

 でも28歳くらいの頃に、「私、芝居じゃなくて小説を書きたかったんじゃなかったっけ」と思って、久しぶりに書いた小説が『宙の家』でした。途中まで書いて友達に読んでもらおうと思って渡したら、そこのお母さんが読んで「これが本になるのが見える」と訳の分からないことを言って(笑)。それで続きを書いて、よく漫画を読んでいたから知っていた出版社、集英社に送ったんです。

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©山元茂樹/文藝春秋

――すばる文学賞ですよね。でも大島さん、デビューは文藝春秋の文學界新人賞ですよね。

大島 そうそう。『宙の家』は最終候補に残ったけれど、落っこちたの。編集者に「落ちても載せるから書け」と言われて書いていた頃に矢川澄子さんにお会いする機会があって、「集英社に義理立てしなくてもいいから、他の賞にも送ったら」と言われて。「あっそういうものなの?」と思って、『春の手品師』を書いて文學界新人賞に出してみたんです。

――それが見事受賞。その年に『宙の家』が集英社から本になって、その帯に「『文學界』でデビュー」と書かれていた(笑)。

大島 そうなの、もう本当に、最初から出鱈目な感じですよね(笑)。『宙の家』なんて自分でイラストを描く友達と一緒に装丁もやったし。

――そしてそこから、淡々と書いてきたという。

大島 淡々と書いていくしかないよねっていう。今、直木賞だといってすごく周りが大騒ぎしているじゃない? でも私は本当にね、静かなもんなんです気持ちは。わあ、なんか忙しくなっちゃって大変だあ、っていうくらいで(笑)。これまでも淡々と書いてきたし、これからも淡々と書いていくんだろうなって思っています。