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猫は未来を憂わない

『にゃんくるないさー』 (北尾トロ 著)

2015/06/03
note

 くじ運、というものがあるが、猫運、というのもあると思う。くじによく当たるのと同様、猫とよく会う、そういう意味での運だ。今まで、一度たりとも捨て猫に遭遇したことのない私は猫運がないほうだろう。この本の作者である北尾トロさんも、実家を出てひとり暮らしをする二十歳まで猫と縁がなかった、と書いている。アパートでひとり暮らしをはじめてから、作者の猫運は急上昇する。

 まず最初にトロ青年の家に入り浸るのは、アパートの庭で出会った子猫、金太郎。一年ほどの蜜月のあと、トロ青年は高円寺に引っ越し、あるとき玄関前に佇む子猫と出会う。これがシービー。のちに、大学五年生になった彼のもとにブルーが仲間入り。さらに、郷里に帰るバイト仲間から押しつけられて、ヤマトが加わる。そんな暮らしのなか、トロ青年は就職した会社を半日で辞めてしまう。

 仕事もないところへきて、近所とのトラブルも起こり、猫を追い出すか、ペット可物件へ引っ越さざるを得なくなる。今こそ多くなったペット可の物件だが、八〇年代初頭なんて時代にはまずなかったはずだ。実際、トロ青年は泣く泣くシービーたちを人にゆずることになる。

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 猫運が炸裂している。捨て猫を見たこともない私は、今までそんなふうにどこからか猫があらわれ、居着かれた経験もない。そんなにあちこちに猫って潜んでいるものなのか。

 八〇年代前半、トロ青年は編集プロダクションでアルバイトを始めたが、またやめてしまい、先輩宅に居候しながらライター業をはじめ、数カ月後、吉祥寺に引っ越す。その後経堂に移るも、また中央線に戻ってくる。二十九歳になったトロ青年は阿佐ヶ谷で暮らし、その五年後、吉祥寺で恋人と暮らしはじめる。一年後、その恋人とめでたく結婚、西荻窪に居を移す。

 と、本書を読めばわかる作者の引っ越し歴をわざわざここでも書き記したのは、じつに感慨深いからである。風呂なしトイレ共同のアパートで、ネグリジェおばさんの襲来に脅えていた男子が、紆余曲折甚だしい年月を送り、その紆余曲折の象徴のように引っ越しをくり返しながら、ついに家庭を持つのである!

 新婚夫婦の暮らす家の庭に、猫がやってくる。今まで細く続いていた作者の猫運が、また開花しはじめるのである。そして驚くような登場の仕方で、野良の子猫が北尾家の一員となる。強力な猫運を持ちつつも、これが作者にとってははじめての飼い猫だ。スーと名づけられた猫を飼ったことでまた引っ越し、さらに今度はオスのモーが北尾家にやってくる。

 家族が増えてきたところに、あらたな家族の登場。それは猫ではなく、赤ちゃんである。四十六歳にして作者は女の子の父親になる。一家は今度は杉並区の外れに引っ越し、その三年後、国分寺の一軒家購入に至るのである。

 最初はひとり。それから二人。プラス一匹、さらにもう一匹、そしてもうひとり。人が、家族を形成していくさまがここには描かれている。家族のかたちに合わせて、家という容れものも変化させなくてはならないのだなと、あらためて気づかされもする。最初はうまくいかなかったスーとモーも共存の道を見出し、そこへやってきた最強のライバル、赤ん坊とも、それぞれ折り合いをつけていく。本書は一貫してユーモラスに書かれているけれど、宿命とか運命といったものを読みながら感じずにはいられない。

 運命、宿命とはつまり、自分の意志ではどうにもならない何か。有名人の両親のもとに生まれたかったのに、平凡な家庭に生まれたり。プロ野球選手になりたかったのに、そこそこの努力もしたのに、結局なったのは会社員だったり。もっと長生きしてほしかったのに、突然身内が亡くなったり。ずっと両思いだと思っていたのに、心変わりされてふられたり。悪いことばかりでもない。期待しないで入った会社で任された仕事が、思いの外、性に合っていたり。たまたま旅先で会った人が、大親友になったり。家の前に佇む猫を、「出会ってしまったからしょうがない」と飼うようになったり。

 人生は、自分でコントロールしつつ歩んでいるように思っているけれど、そんな、思いがけないことばかりだ。ここに描かれる、作者の二十代から五十代がまさにそうだ。

 家族、というもののありようが、すでに宿命である。宿命的に出会い、ともに暮らすようになり、その共同体のなかで、だれもが好き勝手にふるまえるわけではない。意に沿わないことでも、そこでの決まりに従わなくてはならない。

 引っ越しのたびに、夫妻は新居にスーを最初に連れていく。最初の引っ越しで考え出した対策がうまくいったから、ずっと続けているわけだが、家族を作るってこういうことだと私は思う。他人からは馬鹿げているように見えたり意味がわからなかったりすることでも、その共同体には大重要なルールを、見出し、守っていくようなこと。このように他者を想像し、思いやり、工夫を凝らすことで、それぞれの最大公約数的な幸福を模索する。

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