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白黒つけないリアリティ

『無名仮名人名簿』 (向田邦子 著)

2015/12/23

genre : エンタメ, 読書

note

「私が、曲りなりにもドラマなど書いてごはんをいただいている部分は、白か黒か判らず迷ってしまう部分のような気がする。好きかといえば好きではない。嫌いかといわれればそうでもない。好きでいて嫌い。嫌いなくせに好き。善かといえば丸っきり善ではない。では悪かと聞かれると、あながち悪とは言い切れない。」(「白か黒か」)

 これまで幾人もの解説者が引いてきた文章だが、やはりここが作家としての向田さんの視点を端的に表していると思うので、わたしも引かせて戴いた。

 向田さんは、物事や人の在り方を一方的に断じない。脚本を書く時には、実は白黒つけた方が楽である。この問題の決着はこうです! と突き進み、結果を出した方がカタルシスを得やすいからである。でも物事というのは白黒つかないことの方が多いし、正しいことでも声高に主張されると興ざめする。説教されると反発したくなる。

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 ――白かもしれませんが見ようによっては黒かもしれませんなあ。しかし黒と言ってもグレーというか白に近いというか……、まあ目くじら立てて決めなくても、状況に応じてあれしましょか。

 向田さんの作品は、そんな風に進んでいく、大人のドラマだ。正解を語る時にはなおさら、含羞を忘れない。そこにわたしたちは、物事の本質を発見する。

 

 白黒つけないリアリティの一方で、向田さんの作品に共通するのは凛とした「潔さ」である。「お取替え」のチョコレートにあるように、向田さんは子供の頃、責任をもって一つを選ぶということを学んだ。別の本に収録されている「黄色い服」(『男どき女どき』)ではもう少し踏み込んで、

「職業も、つき合う人間も、大きく言えば、そのすべて、人生といってもいいのか、それは私で言えば、黄色い服なのであろう。一シーズンに一枚。取りかえなし。愚痴も言いわけもなし、なのである」

 と、はっきりと言葉にしてある。

 もう一つ、『夜中の薔薇』というエッセイ集に、「手袋をさがす」という大好きな一篇がある。ある年、気に入った手袋を見つけられなかった向田さんは、気に入らないものをはめるぐらいならと、ひと冬を手袋なしで過ごしたことがあった。後に引けない気持ちにもなっていた。そんなある日、会社の上司にこう言われる。

「君のいまやっていることは、ひょっとしたら手袋だけの問題ではないかも知れないねえ」

 ハッとなった向田さんは、自分が今、漠然とした不満の中で何をどうしたらいいかわからず、「身に過ぎる見果てぬ夢と、爪先き立ちしてもなお手のとどかない現実に腹を立てていた」ことに気づく。

 ないものねだりの高望み。そう悟れば普通の人は、足るを知ろうと反省する。でも向田さんは違った。理屈として正しくても妥協すれば必ず自分は後悔する。であればいっそ、中途半端な反省などせず、一生、手に入らないかもしれない手袋を探し続けよう。どんな手袋を探しているのかすらわからない。「未だに手袋を探し続けていること」が、たった一つの自分の財産である、とまで言い切っておられる。

 覚悟をもって一つを選ぶ。選んだからには文句は言わない。ただし絶対に妥協せずに、とことん探しぬく。

 こんな人が紡ぐ物語に、惚れない道理がないのである。

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