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モデル時代はいきなり水着姿に……女優20周年・米倉涼子が語った“2人の恩人”

モデル時代はいきなり水着姿に……女優20周年・米倉涼子が語った“2人の恩人”

44歳になった視聴率女王、ハマり役が多いワケ

2019/08/01
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 米倉が「女優宣言」したのは1999年、23歳のときだ。もっとも、初めて事務所からドラマ出演を打診されたときには断ったという。だが、モデルの活動を続けるうち、しだいに「ちょっと先に進んでみたい」と思うようになり、今度は自分からドラマに出たいと申し出た。米倉いわく、《モデルって「可愛い!」「キレイ!」「カッコいい!」というのしかない。私のムッとした顔とかまで受け入れてくれる場所はお芝居する方向なのかなと思っ》たのが、その理由であった(※3)。

「年齢を重ねることに希望が持てた」大ベテラン女優との出会い

 女優として活動を始めると、さっそく1年間に4本のドラマに出演し、体力的にはかなりタイトだったが、米倉はどうにか結果を出そうと必死だった。このとき《3年後には主役を張れるようになる。そのために、男になろう!》と目標を掲げる(※4)。念願かなって初の主演ドラマ(2002年放送の『整形美人。』)を勝ち取ったのは、目標どおり3年後の26歳のときだった。

 先述の『黒革の手帖』で初めて悪女を演じたのは29歳のとき。その後も多くのヒット作を生むことになるテレビ朝日の木曜夜9時台に放送された『黒革の手帖』は、第1回からいきなり17.4%の高視聴率をマークし、裏番組の人気ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』を抜くなど、注目を集めた(※5)。同作への出演が女優としての転機とされることが多いが、当の米倉は、そう言われることについて《ある意味そのとおりだけど……自分としては、あの作品にたどり着くまでにもいろいろあった》との思いがあるようだ(※4)。

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2004年『黒革の手帖』に主演したころ ©文藝春秋

 これと前後して、NHKの大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』(2003年)で宮本武蔵の恋人・お通を演じたほか、同じくNHKのスペシャルドラマ『ハルとナツ 届かなかった手紙』(2005年)では長期海外ロケも経験した。後者では、大ベテランの森光子と同じ役の若いころを演じ、《森さんに出会って、女性は年齢とキャリアを重ねて、ますます素敵になれることを教えてもらって希望が持てた》という(※4)。