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モデル時代はいきなり水着姿に……女優20周年・米倉涼子が語った“2人の恩人”

モデル時代はいきなり水着姿に……女優20周年・米倉涼子が語った“2人の恩人”

44歳になった視聴率女王、ハマり役が多いワケ

2019/08/01
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スター女優のひと言でブロードウェイ挑戦

『黒革の手帖』は2006年に米倉の主演で舞台化もされ、これが彼女にとって初舞台となる。2008年には、いつか挑戦したいと思っていた『CHICAGO』の日本版に主演、自分の力不足を痛感しながらも、演じる喜びを覚える。このときには本場ブロードウェイの舞台に立つことなど、まだ思いもよらなかった。だが、2010年に『CHICAGO』のブロードウェイ版が日本で上演された際、出演者のひとり、アムラ=フェイ・ライトと出会ったことが、彼女の心に火をつける。このとき、なぜこの仕事を引き受けたのか米倉がアムラに訊ねたところ、「思わずやるって手をあげちゃったのよ。でも、あとになって、とんでもないこと引き受けちゃったと思ったわ」という答えが返ってきた。これに米倉は、《私だって「やります」って手をあげちゃっていいんだよ、と背中を押された気がしました》という(※6)。

その後『CHICAGO』ではそのアムラ=フェイ・ライト(左)と共演

 やがて事務所も米倉の希望を理解して、数ヵ月がかりで出演交渉が行なわれる。この間、彼女はドラマなどの仕事のかたわら、ブロードウェイチームの指示に合わせ、英語での歌や演技、ダンスを収録したテープを何本も送った。その厳しさは、好きな『CHICAGO』でなければ絶対に耐えられなかったと、のちに振り返るほどであった。ようやく出演が決まり、日本を出発するときには、いままで積み上げてきたものがぶちこわされることも覚悟する。《でも、まだ甘かった。あそこまで見事にぶちこわされるとは、予想がつかなかった》とは、2012年に初のブロードウェイ公演を終えてからの彼女の弁だ。《やり遂げれば自信がつくのかな、と思っていたけれど、とんでもない。自信なんか以前と同じで、全然ありません。心に残ったのは悔しさです。自分の技量がまだまだ足りないことへの悔しさ、もう少しやらせてほしかったなあという悔しさ。だから、次を目指したいと思います》(※6)。この思いが、5年後、さらに今年の再演へとつながっていく。今回の再演を前に、米倉は《『CHICAGO』はずっとやっていたい》と同舞台への一途な情熱を口にした(※7)。

「私、失敗しても後悔しないので」

『CHICAGO』に挑戦し続ける一方で、初めてブロードウェイの舞台に立った2012年には『ドクターX~外科医・大門未知子~』もスタートし、以後、シリーズ化されて根強い人気を持つ。今年、女優生活20周年を迎えるにあたり、《20年前は『倒れるまで働く』という感覚だったので、一つひとつのことをよくわかっていないときがあったんです。いまはやっと少し落ちついて、自分のペースで仕事ができるようになりました》と述べた(※8)。一方で、3年前のインタビューでは、《これから先も新しい挑戦を続けていきたいですね。安全パイを握るような生き方はしたくないですから。ドラマの中の未知子は決めゼリフで「私、失敗しないので」と言うのですが、今の私ならこう言います。「私、失敗しても後悔しないので」》と語っている(※9)。失敗しないことを売りにする大門未知子と、失敗すらも自分の糧に変えてしまう米倉涼子。その意味で、米倉は未知子以上に強い心の持ち主なのかもしれない。

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※1 『女性自身』WEB版2019年7月10日
※2 『婦人公論』2001年2月7日号
※3 『週刊文春』2004年10月14日号
※4 『MORE』2017年11月号
※5 『週刊現代』2004年12月4日号
※6 『婦人公論』2012年10月7日号
※7 『週刊ポスト』2019年5月3・10日号
※8 『週刊朝日』2019年1月18日号
※9 『婦人公論』2016年10月25日号

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