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「野球部といえば丸刈りじゃないですか」という球児も

 甲子園出場校の脱丸刈りの例を見渡してひとつ気になるのは、逆に「丸刈り禁止」を打ち出しているチームがあることだ。野球部によってさまざまな方針・狙いがあることは理解できても、「禁止」という制限を設けることは本質的には「丸刈り強制」とあまり変わらないのではないか。創価のように「自由化」ならば筋が通っている。

 また、以前までは軍国主義の名残りとして嫌われた丸刈りも、現代では「ボウズ」というファッションとしてのポジションを確立している。高校生になると丸刈りへの抵抗感を示す野球部員はさほど多くはない。

甲子園では1回戦で奥川擁する星稜に0-1と敗れた旭川大高

 野球があまり強くない、ある進学校の野球部員に「なぜ丸刈りにするのか?」と聞いてみたことがある。彼は胸を張って「野球部といえば丸刈りじゃないですか」と答えた。多くの野球部員にとって丸刈りとは「高校球児」の記号である。丸刈りにすることで、「自分は高校野球をやっている」という気分になれる。意地悪な見方をすれば、コスプレのようなものだ。普段は髪を伸ばしているのに、夏の大会前になると急に頭を丸める野球部員など、まさにこの典型である。

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「丸刈り」は生徒指導に有効か

 また、丸刈りがここまで高校野球に浸透している背景には、「生徒指導に有効」と見ている指導者が多いことの裏返しでもある。なかには中学時代に学校生活に問題のある生徒が集まり、高校3年間をかけて更生させるような高校野球部も存在する。そんな野球部監督を務めるある人物は、こんな自説を口にした。

「世論が脱丸刈りに傾いている流れはわかりますが、ウチは丸刈りでいきます。時代によって変えていくものと、変わらず教えていかなければならないものがあると思います。ウチのような学校には、我慢を知らずに入学してくる生徒もたくさんいます。卒業した先、我慢することに慣れていない生徒は、きついことからすぐに逃げてしまいます。個性や自主性の大切さが言われますが、ウチでは髪の毛を伸ばしたいのを我慢して、3年間頑張ることが大切だと考えています」

 頭髪、服装の乱れは生活の乱れ。そんな信念を持って生徒指導にあたっている教育者もいる。こればかりは学校としての役割の違いもあるだろう。

 野球部は小さな宗教団体のようなものだ。それぞれの教義(部則・指導スタイル)があり、それを信じる者たちが集まってくる。そこへ外部から「こうすべき」という干渉が入れば、大げさに言えば宗教戦争が起きてしまう。もともとお互いに信じるものが違うのだから。

 だから「ウチは丸刈りを続ける」というチームは続ければいいし、「ウチは脱丸刈りでいく」と決めればそうすればいい。野球部に多様性が増せば、中学生は自分のカラーに合った高校野球部を選べるようになるはずだ。

「丸刈りだろうと伸ばそうとどっちだっていい」

 いつか野球部文化を語る際に、そんなシンプルな言葉で総括できる時代がくるに違いない。