IKKOさんが美容師になろうと思ったのは?
―― 『おんなは一生懸命』のようなドラマを見るときはご自身を主人公に重ねる感じですか。
IKKO いろんなことが人生にはあるけども、成功してる人たちは、自分に起きている境遇を「苦しい、苦しい」「いやだ、いやだ」とかっていうふうに生きていないじゃないですか。苦しくても一度受け入れて、強く生きていってるでしょう。私はそういう女の人が好きなのよ。だからドラマから、女としての勇気をいただく感じ。うちは女きょうだいだから、年齢行っても女同士。そういうテレビを見て、自分がいいと思ったところ、こういう生き方もあるんだと思ったものに導かれるところがある。人生の引き出しの中にしっかりと入れていきたい。そういう感じで見てましたね。
―― そんなテレビっ子だったIKKOさんが美容師になろうと思ったのはなぜですか。
IKKO 自分が女性としてスチュワーデスになれないのなら、女の人を綺麗にしてあげられる美容師になろうと思ったんです。「いい大学へ行って、いい会社へ入って、何歳ぐらいで結婚して」、そんな親が望むようなレールを進むのは、私の体では無理だって思っていたから、大学に進学するっていう考えはなかった。それで美容学校に進んだんです。
―― 美容の世界は肌にあったんでしょうか。
IKKO ここは私の生きていける道なんだっていうような実感がありましたね。学校を卒業して、19歳で上京して、最初は横浜・元町のヘアーサロンに入るんですけど、その8年間は涙、涙でした。一軒家で美容師の先生・先輩たちと共同生活だったんです。そこで最初に言われたのは「あなたには、今日はご飯ないのよ。今日来て、仕事を何もやっていないでしょう。もう社会人になったんだから、ただ1日終えただけであなたにご飯が出ると思っちゃだめよ」と。仕事のことはもちろん、ご飯を食べるスピードから何から何までそれはもう厳しかった。でも今はあの時代がなかったら、私はその後ダメになっていたかもと感謝しています。
そうそう、そんな厳しい生活の中でもやっぱりテレビが見たくなって、入って3カ月ぐらいでダイエーにテレビを買いに行ったのはよく覚えてる(笑)。
(#2へ続く)
写真=宮﨑貢司
◆#2 IKKOさんが語る“テレビ界の恩人”「死化粧のとき、逸見政孝さんの目から一筋の涙が……」
https://bunshun.jp/articles/-/13539
◆#3 『どんだけ~』IKKOさんの“許す力”「チョコプラ松尾ちゃんには感謝しかないの」
https://bunshun.jp/articles/-/13541
IKKO/1962年生まれ、福岡県出身。横浜・元町の美容室で8年間修業した後、1992年に「アトリエIKKO」を設立。「女優メイク」と呼ばれる独自のヘアメーク術で、テレビ、雑誌、舞台など幅広く活躍する。2003年「ジャスト」(TBS系)に出演し、テレビデビュー。「おネエ★MANS」(日本テレビ系)などにレギュラー出演。2007年「どんだけ~」が新語・流行語大賞にノミネートされる。